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2024年02月17日20:28

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ピュアノンデュアリティの対話

ピュアノンデュアリティの対話

質問者
今にいるようにすれば平和でしょうか?

回答
今、にいようとすることは観念である
そして
五感にフォーカスすることも
努力であり
平和ではない

質問者
ではどうすればよいのでしょうか?

回答
さきほど言ったように
自我が今という観念にとどまろうとすることは
自我というコントロールを信じていることである
コントロール信念は
幻なのだ

同様の信念により
形而上から
大我が宇宙を誤創造したのだ

話を形而下である日常にもどそう

意識のなかに自我が幻のように、しかし確固とした信念としてあらわれる

質問者
意識のなかに?

回答
そうである
意識はコントロールできないものである
意識はオートマチックにあらわれるものである

それは
自動的にあらわれ、意識のなかの自我は
朝寝床にいる身体と一体化するのである

それ以降日中
自動的である自我は、大我から投影された脳と身体、そして世界にたいして

自分はコントロールして、なにかを成し遂げる
ことができると信じている

質問者
自動的である自我?
コントロールするはずの自我が、自動的ですって?

回答
そうだ
催眠(幻を現実と信じる)により個人として生きていると信じている
それは
形而上の大我が、大意識に催眠をかけられ
誤創造を自動的に行ったことの反映なのだ
大我はシナリオもすでにかいている

質問者
シナリオがあるんですか?

回答
現在進行中のシナリオは大我のシナリオではなく
救済のために改訂された癒しの計画にもとづく新しいシナリオである

質問者
ということは、
さいしょから
おわりまで
コントロールといえるものではなく
じつは
自動的(オートマチック)であるということになってしまいます!

回答
そのとおり
それが神の宿命だったのである
神は存在する
ことからのがれることはできない
無はない
そして神は愚かさ(試み)により小さな狂気の夢(探求心)
をつくり
自意識をもたせた
そして催眠(自我化)により何か異なる世界をつくれるのではないかと誤創造 想像 試みをさせたのである)
しかし
できたものは大我の本性をあらわす愚かなシナリオによる
好奇と罪悪の世界だったのである

そのシナリオは改訂されて
今スピリチュアル的な癒しのためのシナリオが進行中である。

質問者
ずいぶん
何万、何千年と時間のかかる癒しのためのシナリオなわけですね。

回答
そう神はまだ愚なのだといえる
神の力に不可能はないため
ほんとうは
わたしたちは癒しのために再演する必要はなかったのだ
だが癒しの旅はオートマチックにおきているのだ(様々なスピリチュアルによって)

質問者
それは親切というより、なんだな不親切ともいえますね

回答
いずれ神はそのことに気づくかもしれない
みずからが慈悲ぶかいと勘違いをしていたことに。

だが

あるときすべては終焉することもありえるのだ
それを望むことがおきたのならば

そして
そのあらわれである救済される者は
救われることになり
彼が使っていた身体は
あたかもロールプレイングゲームのかってに動く人物のように
救済のために人生の終わりまでそこにいるようにみえているのだ
だが

そこに彼自身はもうじつはいないのである

質問者
なんということでしょう。そんなことがありえるのかもしれないですね。


ピュアノンデュアリティ対話おわり
(NAC著)





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