たとえば釣銭が多かったのに黙っていたとか、意地悪をしたとか、その場を取り繕う口先だけの嘘をついたとか、「このくらいなら許されるだろう」と思われる程度の、ちょっと良くないことをした。
そうしたら、知らないうちに物がなくなっていたとか、小指をタンスの角にぶつけた、車に傷が付いたなど、そんな経験は誰にでも思い当たる節があるだろう。
悪いことをすると必ずバチが当たる、因果応報、自業自得、天罰てきめん。
だから、「悪事を為すな、善行を為せ」という教訓ができる。
老子の言葉にもある。
「天網恢恢 疎にして漏らさず(てんもうかいかい そにしてもらさず)」：天が張る網は、一見目が粗いようだが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ罰をこうむる、と。
「良くないことが起きたのは、自分が良くないことをしたせいだ」、と思ってしまう。
しかしこれは「風が吹けば桶屋が儲かる」にも似た理屈で、原因と結果の間は「直接には」因果関係は存在しない（間接的には何か関係しているかもしれない）。
私たちは「直接」関係ないこと同士であっても、前に起きたこととつなげて考えてしまう。
それは「事実」とは必ずしも一致しない。
私たちの認知、認識。それは私たちの頭の中でこしらえた架空の事実。
しかし、直接には結びつかない原因と結果、その間にある目に見えないもの、認識できないこと、何かと何かをつなげることができる、あるいはつながずにはいられない、ということは、人間が人間であることの所以でもある。
絵筆を持った象やチンパンジーが、器用に「絵を描く」姿を見たことがある方もいるだろう。
しかし、象もチンパンジーも、「描いている」のではなく、正確には「模写する、なぞる」に過ぎない。
顔の形を模した、単純な造形の「画題」を与えられた時、チンパンジーと人間の子どもでは、どのような反応の違いが見られるのかを調査した実験がある。（「チンパンジーと人間の子どもの描画の比較」松沢哲郎 京都大学霊長類研究所教授ほか研究チーム,2014）
目などのパーツが部分的に欠けた不完全な顔の線画に「お絵かき」する課題について、霊長類研究所のチンパンジーと1歳から3歳の人間の子どもたちを対象に、同じ方法で検査した結果、明瞭な違いがみられたという（図参照）。
チンパンジーは、輪郭線をなぞるなど細かい描線のコントロールはできても、足りないパーツを補って顔を完成させることはなかった。
一方、人間の子どもたちは画題を顔とみなし、「おめめ、ないやー」と目などの欠けたパーツを描き入れ、無いものを補完して顔を完成させたという。
目で見ることのできる姿かたち、そこに無い、目で見ることのできないものを想像して、欠けているものを補って描くことで創造する。
それはまるで、初期人類が、ほの暗い洞窟の壁面の岩肌の凹凸や質感、その命ないところに生き生きとした野獣の姿、生命の似姿を見出し、そこに生命の躍動感に満ちた姿を描いたように。
あるいは、バラバラに存在していた肉を削ぐ石器と、ものを叩く木の棒、それぞれ素材も目的も異なる別個の道具を組み合わせてつなげて、より強靭な力を持つ「斧」を作り出したように。
人間は、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理屈のように、直接関わりの無いものでもつなげて考えずにはいられない。
そこに人間の人間たる所以がある。
人間とは、直接関係のないもの同士でも、想像力と創造力をもって、何かと何かをつなぐことができる、あるいはつながずにはいられない存在なのだ。
音の世界、音空間が刺激となって、生み出す映像のイメージ。
そのイメージを描き、頭の中で「可視化」すること。
私たちは、その過程で目で見ることのできる現実の光景とは異なる、わたしだけの映像」を想像し、創造する。
その力は、アルタミラやラスコー洞窟の命なき岩肌と、草原を駆け抜ける命ある野獣の姿とをつなぐ。
「それぞれの出来事が、いろんな細かいことの結果としてできあがって、
それがまたいくつか重なって、
その結果として今の状況になるということは
『ひとことで言って』に絶対にならない。
『ひとりでにこうなっちゃったこと』が集まっている、世界は。
すべてはこちらの『ものの見方』だと言ってもいい」
〜養老孟司（NHK BS「まいにち養老先生、ときどき〜2024」より）
全く同じ状況であっても、見方が変われば、自分をとりまく世界をどう捉えるかの認識が変わる。
世界をどのようにとらえるか？それが変われば、自分も変わる。
例えば未視の絵画、未聴の音に接したとき。
自分にとって異質なもの、異様、異形の存在と初めて接するときは、自分の感覚、感性を研ぎ澄ませリセットさせなければならない。
未体験のものは、ひょっとしたら自らに災いや危険をもたらすものかもしれないから。
感覚がリセットさせられ、まるで自分が「タブラ・ラサ」：まったくの白紙の状態、ふりだしに戻ったかのように、世界が自分にとって新たな意味と価値を持つものとなる。
それが、私が未視の絵画、未聴の音楽に惹かれる理由なのだろうと思う。
未視の絵画、未聴の音がもたらす「導き」、それは「未知引き」でもある。
知ること、学ぶこと。
そして未知のもの同志がつながる、つなげること。
新しい経験や体験などによって脳が活性化すること、それはやはり人間にとって快の刺激をもたらすものなのだろう。
「たくさんのことをバラバラに勉強するから、つらいし、つまらないのです。
ある日、知っていることＡと、知っていることＢが頭の中で繋がったとき、はじめて知識が『快感』になるのです。
時々、神の恵みの『ひらめき』であることもあるのですが、『つなげよう』という気合いのないところになかなか神も降りてきてはくれません。
本当に、いやいややらされる勉強はかわいそうだ。
バラバラのものがつながって、全く新しい視野が開かれる瞬間の驚きと爽快が、頭のやわらかい君たちに必ず訪れてきますように！」
〜「こころとのつきあい方 13歳からの大学授業 桐光学園特別授業�后廚茲蝓々盪街─扮冓験惻圈∨殘�家）
しかし、時に見方を変えて、つながったものを切り離して考えなくてもならないこともある。
認知を変えることは、より生きやすく生きる上で必要なこと。
原因と結果の因果律、事実の正しい認識は、生きづらさを解決するために必要なことでもある。
例えば、こんな経験はないだろうか。
寒い雨の中、夜道に迷い「なんでこんな目に会わなくてはならないのだろう」と、とても悲しい気分になる。そして「自分はこんな報いを受けねばならぬほど悪いことをしたのだろうか？」と根拠のない罪悪感にさいなまれる。
起こったことは、決して良くない出来事だ。
もしそうなったら、きっと気が滅入るだろう。
それでも「道を間違えたのが，たまたま寒い雨の夜だった」と思うか、それとも「何で自分だけこんなひどい目にあわなければならないのだろうか」と思うかで、同じ出来事でも世界は全く変わってくると思う。
「そんなに悪いことをしたのだろうか？」と根拠のない罪悪感にさいなまれる必要もない。
何かと何かをつなぐ能力の開拓は、生物としての情報処理能力の進化と、そして「見えないもの」を考え、想像することができる人間独自の概念思考や抽象化・象徴化作用と密接な関係にある。
「神経系は、動物の身体にあって、情報の伝達と処理を司る器官である。
進化の過程で最も原始的な神経機能は、感覚器官によって検出された外界の情報に依存して、その情報に進化の結果獲得された処理を施し、状況に最適の行動を起こすべく運動器官に指令することにある。
例えば、餌があれば近寄って捕食し、敵が来れば逃げて遠ざかる。単純な身体の動物では、外界情報を検出する感覚器と、それに対する固有の運動を引き起こす効果器を1対1に直接結びつけるだけで事足りる。
この段階にあっては、神経系で運ばれる『情報』は、現実時空における物理化学エネルギーに直接対応し、外界の情報構造そのものであるといえる。 言い換えると、外部世界が直接神経系に侵入し、内部世界との境界はなく、そこは因果律・排他律・時系列などの論理法則がそのまま成立する現実世界である。
進化によって動物の身体構造が複雑になり大きくなってくると、複数の感覚器と効果器の組み合わせで感覚と運動が担われることになり、1対1の直接結合では事足りなくなって、 汎用処理装置が必要になる。その結果生じたのが初期の単純な中枢神経系であり、そこでは単純な反射などの、簡単な演算が行われるようになった。
そして、さらに状況が複雑になると、来歴や場合によってその演算を修飾すべく、また、 決まったパターンの演算は逐次行うのではなく予め準備されて、参照情報としての記憶が蓄積されて利用されるようになる。
しかし、この段階に至っても、まだこの神経系で扱われる情報は、外界の構造そのままの形式と構造が保存され、情報の契機は外界に求められる以外になかった。
やがて事態はうごきはじめる。
神経系での情報処理が、複雑になって階層化し重畳しはじめると、上位の階層で扱われる情報は、外の現実世界と直結した下位の階層から乖離しはじめる。
最初は、下位の階層の『状態』をひと纏めにして任意に標識するなどの象徴化からはじまり、次第にこの階層だけに閉じた、独自の世界を構築することができるようになる。純粋脳内世界の誕生である。
この世界は、外界のさまざまな現実的拘束を受けない。情報は、内発的要因によって生起し、現実世界の法則から自由に浮動する。ここで活動する神経細胞のひとつひとつが独立の次元を構成する、超多次元情報空間を形作ることができるのだ。
この世界を現実世界の理屈で説明しようとするとき、極端な情報圧縮を余儀なくされ、われわれはそれを『夢』『幻覚』と呼ばざるを得なくなる。そしてそれは、あるいは『芸術』である。」
〜入来篤史「脳内の時空処理」より（小泉英明編著「脳科学と芸術 恋う 癒す 極める」収録）
芸術界においては、時間と空間はもとより、その意味や価値までもが交錯することとなる。
そこでは、万人に共通する一定の方向という基準がない。
実演奏時間1時間の楽曲を聴いたとして、そこで展開される世界の時間の経過は、ある人には数10分のことともなるだろうし、ある人にとっては一生分の長さにも相当することもあるだろう。
ある人にとっては単にインクで記号を印刷したぶ厚い紙の束が、ある人にとっては人生を左右する名著になることもある。
時空はもとより多様の価値、意味、概念が同時に共存、混在し、まばゆいまでの多彩な輝きを放つ芸術界。
グローバリゼーションの大義名分のもと、合理化された特定の一方向だけの価値、意味、概念が規定されてしまった現実界では決してありえない世界。
そこでは様々な矛盾も、非合理も、不条理も、理不尽も超越し、不可能をも可能にする、夢の中の世界にも通じる。
このような矛盾に満ちた不条理に秩序を感じるとき、私たちの心が魅了されるのはなぜだろうか。
社会的役割が分断され、そして様々な価値が一つの方向へ規格化されてしまった現実界の中で、私たちは一時でも現実の憂さを忘れ、「今、ここではないどこか」へと連れて行ってくれる、いっときでも現実を忘れ夢を見せてくれるかのような芸術を求めるからゆえのことだろう。
過剰なまでに合理性、合理的、整合性、論理性あるいは経済性を保った秩序ある社会システム（それは一見健全なようで、かなり病的なようでもある）で構築された現実世界の中にあって、自己を保つ上で、健全な欲求であると思う。
しかし、この夢のような芸術界は、決して現実界においては存在しえない。
現実界と芸術界は同時共存、併存することはありえない。
社会的役割が分断され、そして様々な概念が合理的、整合性、論理性あるいは経済性という価値のもと、一つの方向へ規格化されてしまった現実界の規定とは、真っ向から矛盾するものだから。
合理性、合理的、整合性、論理性、経済性を保った秩序ある現実界（外的世界）と、夢・幻覚が自由に交錯する芸術界（内的世界）を切り離して考える、生きる。
それもまた、他者との共同生活を営む道を選択した人間の「人の道」を踏み外さずに生きる上で必要なのだ。
全く同じ状況であっても、一度つながりの関係を切り離してみることで見方が変われば、自分をとりまく世界をどう捉えるかの認識が変わる。
よく言われる喩え話。
コップに半分残った水を見て「もう半分しか残っていない」と嘆くか、
それとも「まだ半分も残っている」と希望を持つか。
世界をどのように見て、そしてどうとらえるか？
何かと何かをつなぐ、あるいは切り離すことで、見えてくる世界は変わって来る。
見方が変われば、自分も変わる。
切り離すことができるということも、つなぐことができることと同様に、また人間の人間たる所以である。
正しい認知、そして情動のコントロールのためには、「つなげる」、そして「切り離す」という人間に付与された、人間だけが有する英知を用いつつ、何と何をつなぎ、そして何を切り離すかを見定めることが大切なのだろう。
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