プログラムを眺めていて気が付いた。何をいまさらだけど、牧バの英語表記は「Asami Maki Ballet Tokyo」なんだな。最近熊さんはKの名称に「トウキョウ」を付け加えたけど、牧さんはそのはるか以前からそうしていたことになる。ゲストの青田買いといい、シビック・ホールの先押さえといい、牧さんの先見の明、凄いな。
「マクゴリアンさん、2日目はカラボスを演るんだね」と、お師匠さま。
「えっ!?」
お知らせが届いたにもかかわらず、すっかり忘れてしまったことは以前記したけれど、ムンタギロフくん観たさに未練がましくチケット・サイトを覗いていたら、バレエの神さまが憐れんでくれたのか、ある日突然、戻りチケットが表示され、少し迷ってから初日の席を取った。
なぜ迷ったかと言うと、時差の影響を受ける海外のバレエ団はもちろん、近年持久力の増してきた国内バレエ団も後になるほど出来が良くなるので、いつもなら2日目を選んだはずだが、ここはまだそこまで信用できなかったからだ。
ところが何をお供えすればよいだろうと考えていた矢先に、お師匠さまから上記のメッセージが。再びチケット・サイト詣でを続けること数日、またもや出戻りチケットが現れた。神さま、一生ついて行きます!
宗教の発祥例はともかく、今回お后さまとカラボスにゲスト出演が予定されていたマクゴリアンさんは、今から30年近くも前(1995年)に収録されたロイヤルの「眠り」ディスク(デュランテさん、ソリモシーさん、ダウエルさんが出演)と、17年前(2006年)収録(コジョカルさん、ボネッリさん)のディスクでもお后さまを演じているロイヤルの伝説的なプリンシパル・キャラクテール。コロナ前の2017年にも牧の「眠り」に客演しており、その気品に満ちた所作と圧倒的存在感は忘れられない。
残念ながら腰痛が悪化し、長時間のフライトには耐えられないとのことで再見は果たせなかったが、たとえ一度であっても直に彼女の立ち姿を観られたことは、一バレエ・ファンとしてかけがえのない体験だった。
牧バの「眠り」はウェストモーランド版。ロイヤルで活躍した彼は当然のことながらロイヤルで上演された版をベースにしているが、そのロイヤルはマリインスキーで改訂を手掛けたセルゲイエフさんの手を借りているから、ウェストモーランド版は「眠り」の基本形セルゲイエフ版の遠縁と言えなくもない。ただし2003年から2007年の間のどこかで、少なくとも一度は若干の手入れがなされたようで、それがウェストモーランドさん自身によるものなのか、それとも芸監がいじったのか、牧バに詳しい人がいれば話を聞いてみたいものだ。
構成はプロローグ+3幕、計3時間10分だが、プロローグ35分、休憩20分、1幕35分、休憩20分、2幕+3幕80分と、休憩の入る場所が異なる。プロローグと1幕の間には16年の時間の経過があるから入れて悪いとは思わないが、間奏曲を使ったPDDを2幕の終わりに組み込むのであれば、話が一段落する2幕と3幕の間にも休憩を入れた方が良いのではないだろうか。(理由は東バ「眠り」の感想に書いた通り)
演奏は湯川さん指揮の東京オーケストラMIRAI。初日冒頭は金管が先走りしたり大きな音を出せばいいんでしょ的な荒々しい音色に不安を覚えたが、上演中徐々に改善され、2日目はさらに安定した演奏になった。さすがにセリグマンさん、東京シティ、そしてダンサーたちの三位一体見事なコラボを聴いたあとだけに、それを越える感銘はなかったが、いつも通りバレエ公演の演奏にしてはミスも少なく安心して聴いていられた。
そういえば、近年は観客のマナーが良くなったように思う。がさごそ音をたてたり無駄話をする人と遭遇することがかなり減った。ただし前のめり客は相変わらずいるようで、館内放送で注意喚起したり場内係が注意書きを手に巡回しているところをみると、雑談客も皆無ではないようだ。そういう時にいつも思うのは、休憩時間中に放送しても無駄だということ。周囲に迷惑をかけるやつほど聞いちゃいない。
いちばん効果的なのは、客電が消えて観客の意識が幕に集まった時、旅客機が離陸する前に流すのと同様の注意動画を投影すること。特に前のめりによる迷惑行為は、実例を写真で示したり図解した方がわかりやすい。こうした動画はバレエ団が個々に用意するのではなく、バレエ協会が作って配布すればいい。それも協会の仕事だと思うが。
苦言ついでにもうひとつ記すと、フライング拍手も自制してもらいたい。バレエはダンサーと音楽、舞台美術が一体となった総合芸術なのだから、オケの奏者たちにも敬意を払い、最後の一音が鳴り終わるまで拍手は我慢してほしい。
前奏を聴きながら思ったのは、幕絵はいつ造られたのだろう、だった。あちこちに大描きされた薔薇がかなりチープで、そろそろ作り直しても良いのではないだろうか。その幕と王宮を描いた紗幕が上がると、大広間の臣下たちが動き始める。彼らの着る衣装はロイヤルのそれを思わせる古風で豪華なデザインが美しい。
お后さまは塩澤さん。綺麗な方で演技もちゃんとしているから文句はないが、どうしてもマクゴリアンさんの威厳に満ちた姿を思い出してしまう。ない袖は振れぬと頭を切り替え、舞台に集中する。
2日間とも最初から最後まで、群舞が予想していたよりも良かった。上手いチームとそこまでではないチームがあるようだが、上手いチームは足音も静かだ。消音が十分ではない下位チームも揃い具合は申し分ない。
プロローグの途中、乳母に抱かれた赤ロラが舞台中央手前にやってくるのも良い演出だと思う。なんと言ってもこの日の主役は彼女なのだから。
主妖精と3幕キャラクテールの配役は良い人とそうでもない人が混在し、しかも初日と2日目で入れ替わっていた。詳細は後述。
問題はリラの精で、2人とも背は高いから目立ってはいたが、踊りは群舞にもっと上手い人がいそうだった。特に2日目のリラ精は初役だったのだろうか、前半は余裕がないどころかパニック寸前、観ていて可哀想になるほどだった。牧には吉岡さんの魅力的な映像が残っているのだから、完コピしさらにそれを凌駕するくらいの気概で頑張れ。
カラボスは2日とも菊池さん。彼の配役を忘れていたため、最初は女性と勘違いしたほど美しい。(笑) カラボスと言うと黒い衣装が定番だが、ここは赤の煌びやかなドレスで、それがまた似合っている。手下はねずみが4匹、つぶらな瞳は悪そうに見えない。
カタラビュトのキャラが、東バの鳥海くんとあまりにも対照的でちょっと笑ってしまった。依田さんは自分のミス(名簿にカラボスの名を入れ忘れた)を申し訳なく思うどころかまったく反省していないようで、最終的にOKしたのは王さまだよね、髪の毛むしられた自分はむしろ被害者、とでも思っていそう。そういう奴、世の中たくさんいるよな。(笑)
1幕冒頭、糸紡ぎ娘たちのやり取りが、ウェストモーランドさんの発案なのか、それとも芸監の手入れなのか知らないが、セルゲイエフ版よりも間延びしているのはいただけない。尺が延ばされたため演奏にも無駄なリフレインや追加フレーズが挿入され、しかもそれが耳障り。
そもそも糸紡ぎ娘たちは、なぜあのような場所にいるのか。セルゲイエフ版も含めて違和感がある。新熊版では糸紡ぎを黒薔薇に変更してさらに存在を秘匿、ユカリューシャ版でも彼女たちの断罪シーンを割愛しているが、ともに良い判断だと思う。日本がアメリカと戦争をしていたことすら知らないZ世代が、糸紡ぎを知っているとも思えないし。(笑)
新熊版とユカリューシャ版が世情を反映した新制作なのに対し、牧の舞台はウェストモーランド版の保存に重きを置いているようだから同列で扱うわけにはいかないが、糸紡ぎ娘たちの衣装を初期の貴族風から街娘風に変える改変は加えているのだから、その時に演出そのものを見直し、せめてセルゲイエフ版程度にしてほしかった。
糸紡ぎ娘たちの演技(演出?)も、もうひと工夫ほしかった。牧版の彼女たちは確信犯ではなく、自分たちがなぜ咎められているのかわかっていない。オーロラよりも年下という設定なのだろう(カラボスとのやりとりは生まれる前の話だから知らない)。しかし下手すると死刑になるかもしれないのだから、もう少し取り乱してもいいと思う。あるいは三者三様、助けてと懇願したり、ひたすら泣きじゃくるなど変化を持たせるのもありだろう。
オーロラの愛らしい姿を見てもにこりともしない様子に、相変わらずつまんねー王さまだなあ、と思っているうちに、ふと思い至った。ここのダンサーたち、あちこちで演技をしているように見えるが、実はダンサーたちのアドリブではなく、すべてあらかじめ定められた動きなのでは、と。そう考えると、衣装以外個性のない王子たちや、つまらない王さま、危機感のない糸紡ぎ娘たちの演技にも納得がいく。
オーロラはロイヤルからの客演ヌニェスさん。キトリ顔負けのお転婆姫かと思ったら、しとやかで上品なお嬢様だった。ロイヤル・ファンには絶対的な人気の彼女だが、実は私の贔屓リストには入っていない。というのも、彼女の踊りからは音楽が見えないからだ。
鍛え抜かれた体躯が繰り出す動きは、演奏のテンポがゆっくりになっても安心して観ていられるが、それを誇示するあまり曲の流れとずれが生じ、フレーズの終わりと動作が一致しないこともしばしばある。しかしロパートキナさんやフィリピエワさん、ミリツェワさん、日本人でも都さんや小野さんの踊りには、彼女たち自身が音楽を奏でているかのようなオケとの一体感がある。
では片足立ちの安定感は世界級かというと、こちらもそうではなく、ローズアダージョの終盤、不自然に時間を引き延ばす割には脚がぷるぷるふるえている。本当にバランスの優れている人は微動だにしない。
強靭さでいけばKの小林さんの方が上なのに、とお師匠さまに愚痴ったところ、日本のロイヤル・ファンには誤解している人が多いけど、彼女はコメディエンヌ、その真価が発揮されるのは古典の姫様ではなく、リーズのようなコミカルな女の子なのだという。あの演技は何度でも観たいそうだ。
カラボスの登場場面は、いくら原典通りとはいえ、やはりどうかと思う。いきなり不審者がやってきたと思ったら、禁制品を堂々と姫に差し出す。周囲の者はなぜ誰も止めないのか。この場面にユカリューシャさんが手を加えたのもよくわかる。しかしあの囮を使う演出はユカリューシャさんが初めてではなく、過去にどこがで観た覚えがあるのだが、どこの何版だったのか思い出せない。
2幕狩り場の一見わけあり女性、配役表には公爵「夫人」とあるが、それでいいのだろうか(初演台本には「公爵家の女性たち」とあるから間違いではないが)。あの場は王子のお嫁さん選びの場で、集まっているのは貴族の令嬢たち。「夫人」が正しいとするなら未亡人ということになる。ひとりだけ訳ありに見えるのは、位が一番高い「公爵」だから周囲が遠慮しているのだろう。その公爵夫人の感じの悪さはコミカルで、初めて観た時は面白いアドリブをする人だと感心したが、これもあらかじめ考えておいた演出なのかもしれないと思うとちょっと醒めた。
そして本命ムンタギロフくんの登場。一挙手一投足が流水のごとく淀みのない美しさ。ねずみを追い払う仕草にすら気品がある。これぞ古典の踊りの見本とでも言うべき上品で麗しいムーブは、技を詰め込んどけば観客は喜ぶだろうと語る熊さんにもみせてやりたい。古典好きが欲しているのはこういう踊りだから。(笑)
大技の見せ場でも、飛び上がったら地上に降りてこないとか、ほかの人より2倍3倍多く回っているわけでもないのに目が離せない。音符を振りまきながら華麗に、優雅に、舞台を巡る。かと思えばオーロラを見つめるまなざしは暖かく慈愛に満ちている。一目ぼれというだけでなく、彼女を大切に、大事に思う気持ちが観る者に伝わってくる。それが顕著に表現されているのがGPDDのヴァリエーションのあと。自分の踊りが終わったらさっさと袖に引き上げてしまうのがふつうだが、彼は舞台上手で立ち止まり、オーロラが踊り始めるのを愛おしそうにしばし見つめている。
なおオーロラが目覚めたあとには、ユカリューシャ版同様、間奏曲を用いたPDDが挿入されているが、これは上野さんが主役を務めた映像(2003年)には無いから、その後付け加えられたのだろう。
プロローグの主妖精と3幕のキャラクテールたちを眺めていて思ったのは、ダンサー層の薄さだった。初日の主妖精たちはもっと頑張れレベルで、マクゴリアンさんも来ないことだし、同じ面子なら2日目は2幕から観ようかなと思ったほどだった。
しかし2日目は主妖精とキャラクテールの配役が入れ替わったことで、それぞれの踊りの印象が大きく変わった。主妖精は総じて良くなり、中でも5番目の阿部さんは見事だった。下手な主妖精ばかり観ていると、もしかしたらその時々の芸監が色気を出して振付を改悪してしまったのではなかろうかと思ったりもするが、阿部さん級の人が踊った後は、やはり振付が難しくて踊りこなせる人が少ないということがわかる。熊さんが主妖精たちの踊りを省いたのは、建前は「つまらないから」だけど、本当は妖精たちに有力な踊り手を配してしまうと、他の役にまわす頭数が足りなくなってしまうと思ったからなんじゃない? とはお師匠さまの意地悪な分析。(笑)
腕達者を3幕に配した結果、初日のディベルティスマンは総じて見応えがあり、中でも大川くん(青鳥)と阿部さん(フロリン王女)の踊りにはつい見惚れてしまった。ただし猫たちは振付通りに踊ってます感が強く、面白みが無い。あのPDDはじゃれあう2匹の掛け合いが楽しいのであって、タイミングの取り方が難しく、演技も必要な踊りなのだが、任されたダンサーと指導者はそこを理解しているのだろうか。
余談だが、青い鳥の相方王女の名前は「フロリナ」と表記するのが一般的で、たまに「フロリーヌ」とする文献もある。しかしここでは「フロリン」と記されていて(語感がかわいい。(笑))、なぜだろうと調べてみたところ、フランス式の発音にこだわったからのようだ。
3幕のキャラクテールたちはおとぎ話の登場人物だが、青い鳥と王女の話は、ドーノワ夫人の「妖精物語」に収録された「ロゼット姫」という童話集の中にあるという。花の女神にちなんでいるという王女の名前は「Florine」、ドーノワ夫人はフランス人だから発音は「フロリン」ないし「フロリーヌ」になる。
となると、「フロリナ」はどこからきたのか。思うに、フロリナは名前ではなく苗字ないし父姓という前提が必要になるが、「眠り」を制作したのはロシア(マリインスキー)だから、「Florine」の語尾が「a」に変わった女性形なのではないだろうか。
2日目は主力をプロローグに回してしまったが、金の精に大川くんが入り、サファイアには清瀧さんをそのまま残したので、極端に見劣りすることはなかった。ただし青い鳥とフロリン王女は比べる相手が悪かった。つい初日の2人を思い出してしまい、物足りなく感じてしまった。
GPDDはもちろん圧巻だったが、ロイヤルがチャイコフスキーを演るのであれば、ムンタギロフくんの相手は踊りの質が似ているオシポワさんかヘイワードさんの方が良いのではないだろうか。
東バ、新国、Kは、今ならゲスト無しでもやっていけるが、牧はまだゲストがいないと辛いだろう。とはいえ、観るたびに良くなっているし、阿部さん、大川くんのように魅力的なダンサーもいる。もうひと頑張りあれば、という踊り手も増えてきた。
その一方で、演技をしているようで実は振付をなぞっているだけなのでは、という疑惑もわいてきたが、実際のところどうなのだろう。
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