本日の湧いた言葉
(奇跡講座ACIM、のキリストの正体)
奇跡講座(奇跡のコース、ACIM)
と
ノンデュアリティ
の世界観のちがいについて
奇跡講座では
神とキリストを一つで在るとともに、ある意味においてちがいがあるとかいている
神はキリストを創造し、
そしてキリスト(神の子、結果)から
さらに小さな狂気の考えが想像された(わたしは在るからきた)
と教えているからである
(じつは奇跡講座は神とはある意味でことなる
キリストという存在を仮定しているから、半二元論であるともいうことができる)
そうして空想された小さな狂気の考えの存在とは、好奇心のことである
(もし個 、Iがいたらどうだろう)
ちなみに
その小さな狂気の空想(好奇心や不安)
を現実であると信じる
と
自我(ワクワクと罪悪感)という存在
となる。
これがI AM(私は在る)、つまり形而上の自我であり、
宇宙の創造主の正体である
自我は、みずからを神格化させるために
あらたな神という好奇心と罪悪感(裁き)の存在を対象としてつくり、
その対象化した神をみずからと信じこみ
つくられた神を主体化させ、宇宙を誤創造(想像、投影)することになる
これが自我である神
の
特別の愛と罪悪感を投影した多次元の世界である(天界と地獄)
これにたいして
ノンデュアリティは
はじめから実相はひとつの存在しかいない
というものである
ノンデュアリティにおいては
実相(ただ在りひとつである永遠の平安というナチュラルスピリット、自然である存在)
が
全能であるゆえに、好奇への衝動と空想力をもち
またそれはほんとうは無意味な不自然さであるため帰還させる癒すちからをもっている
という
単純な一元論
つまり
自然から(のオートマチック)
だということである
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