ノンデュアリティについて自宅ノートメモから
(自然からの癒しがおきている場合についての説明)
私が悟ることができるというのはエゴのストーリーです
私が上がっていく場所も、私が深く行ける場所というのも不自然な妄想です
自然なエネルギーが実在しているだけであり
燃え尽きていくのこされたマインドの世界が
ただ起きてるようにみえるだけです
感情も
癒しが完了していない場合には
私という信念の影響でまだあらわれることがありますが、同時に(その感情は)
世界とともに非実在のものとして癒されていくだけです
ただ今という在りのままの自然存在
には私というのは空っぽで(二つの気づきという実在はなく)
そして起きてるようにみえることも同様にして
色即是空なのであり、
私や、世界という色は
自然から借りた空想エネルギー(空)でしかありません
もはやただ起きてることにおいて
ときに不自然な感情が湧いたとしても
私が現実のように抵抗するのではなくなり
ただ私もふくめすべてが抵抗なしに自然に癒されることになります
のこされた世界という夢のストーリーは
マルチシナリオというものがあるのならば、よりましなストーリーを通過することになります
実相から
幻想として湧いている私というもの
は
私が起こしているのではなくて
自然存在から
オートマチックな夢として起きたものです
そして今回の説明(自宅ノートから)
の場合は
心が癒されることがおきている場合における説明メモです。
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