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2023年11月04日05:14

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禅語録 日記ノートシェア

心もなく 認識もない
無心といっても、ちゃんと認識していて、認識し作用しつつ、いつもひっそりと元のままだ。

もともと一つの精神が6つの機能(心と5感)にわかれるのである。もともと心が生ぜぬ(実在ではない)から、どこでも解放される。

想念が乱れると本体(あるがまま)が特殊化するから、
それでわれわれは、迷いの世界を経めぐって
苦しみ悩むだけのことなのである

病気はすべて自ずから信じないこと(在るがままでいないこと)からくる

「まあ、あたりまえであってくれ、型にはめこんではいかん。」
(欲求心がやんだとき、そのまま何事もなかった)

自主性とは本来空のところを見失わぬことである

「何事もないのが、真実法界(仏陀の世界)である。意思を働かせてはならぬ。
あたりまえであるだけのことだ。
君たちは
脇道に外のものを探し求めて
手がかりをつかもうとする。とんでもない心得ちがいだ。」

起こったかのような心を
追いかけるな

仮のものにすぎないのに
因果関係にまよいこむことなかれ

真理には根本(私 はじまり)すらもない

探せば探すほど遠ざかり
呼べば呼ぶほど(求めれば求めるほど)
兄弟は互いにすれ違う
あるがままにあれ

戒は心、
律は身にかかわる
永遠の今にはいずれも実在しない

如実知見(すでにただ在ることをしる 汝すでにそれなり)

一心生ぜざれば、万法に咎なし
(全て夢)

心を見ることができぬとわかれば、対象もまた見ることはできず、罪も徳も見ることはできぬ。

悟り(あるがまま)は、身体で見ることはできないし、心で見ることもできない

心があるから一切(幻想)が存在するかのようにみえる
無心であれば一切が無であるとわかる

真の大乗とは、無条件にただ在ることである

みうしなうと無限の時間をかさねるが
それに目覚めるのは一瞬のこと

素直とは、自然である

無言(無念)、沈黙の福音
は慈悲により
聖なるもの(あるがまま)より伝えられた









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