本日の湧いた言葉
奇跡講座(ACIM)の真の赦しについて
学習者は
最初は
自我自身が対象として作った、怒れる神
からの分離
を恐れているように錯覚してしまう
そのため
恐れがまさに現実のように感じてしまう
しかし
じつのところ
それはまったくの誤解で
無条件の自然存在(ナチュラルスピリット)
からの
小さな無邪気な空想の分離心
が
真の赦しの立ち位置(わたしは誰か)
なのである
無条件の存在(ナチュラルスピリット)は
無邪気な空想をしたことなど
たいして気にもしない
それゆえ
赦すことはかんたんなことなのである
これは学習者が真の赦しをくり返し実践することで
真の赦しがますます楽になっていくことの理由である
最初は学習者は
自我との一体化の信念が強いと
どうしても、知らぬうちに
想像上の神からの分離を恐ろしく感じてしまう
それは
作った怒れる神からの分離を信じたわけであり
そもそも
無条件の自然存在からの分離を現実化した
自我
を信じたからなのであるが
それは現実には不可能なことなのであった
平安から現実に離れることはありえず(自然精神統一)
存在、自然、のなかに依然として
認識(のこされているマインドの枠組み)がある
それゆえだれでもほんとうは平安な認識のなかに居るのである(キリストのビジョン)
存在の記憶は
そのために(癒しのために)ある
それが自然な認識(自然に癒されている認識)である
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