mixiユーザー(id:1795980)

2023年10月22日08:08

48 view

須賀敦子エッセンス1 仲間たち、そして家族[読書日記957]

題名:須賀敦子エッセンス1 仲間たち、そして家族
著者:須賀 敦子(すが・あつこ)
編者:湯川 豊(ゆかわ・ゆたか)
出版:河出書房新社
価格:1800円+税(2018年5月 初版発行)
----------
須賀敦子さんのエッセイを読みました。
二週間前の読書日記で読んだ『文にあたる』で、須賀敦子さんの本に関するエピソードがあったからです。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986083528&owner_id=1795980

目次は次の通りです。
----------
 I 仲間たち
 II 家族
 解説――よみがえる「時」湯川 豊

----------
【I 仲間たちは】には7編が、【II 家族】は10編のエッセイが収められています。

印象に残った文章を引用します。
【I 仲間たち】《アントニオの大聖堂》から友人で大男のアントニオについて。
“(アントニオの)カ行とハ行を混同するフィレンツェなまりが、周囲がミラノ人ばかりだった私にはめずらしかった。(略)
 アントニオの両親はとっくに亡くなっていて、親がわりのような姉さん夫婦が、フィレンツェの郊外のカルディーネ(アントニオはその地名をハルディーネと発音した)と呼ばれる小さな村に住んでいた。”(31p)
 ⇒著者がイタリア語の方言まで聞き分けられるようになるまでは、どれほどの苦労があったのか想像します。

【I 仲間たち】《入口のそばの椅子》から、産業革命(18世紀後半〜19世紀前半)後のミラノの上流階級結婚事情。
“産業革命後に台頭したミラノの実業家たちにとって、結婚によって貴族と縁つづきになることが、ひとつの大きな夢だった時代があった。貴族たちにとっても、従来の収入ではとても持ちこたえられない広大な領地を手ばなさないためには、実業家と縁組するのが一番の近道だった。”(47p)
 ⇒日本の戦国時代にあったような政略結婚が、イタリアでは19世紀まで続いていたんですね。

【I 仲間たち】《夜の会話》から、ある貴族の城内の描写。
“中二階にある、つややかなオークの天井まである本棚にぎっしりと並んだ、すべて同色のモロッコ革で表装され、金の背文字を入れた先祖代々の蔵書を見て、私は、十九世紀の初めに、田舎貴族だった父親の書庫でひとり大勉強をしたロマン派の詩人のレオパルディを思い出した。こんな部屋のある家に育った人たちが、べつに本のとりこにもならないで、健全に世に出行くほうが、ずっと不思議なようにも思えた。”(93p)
 ⇒“本のとりこにもならないで、健全に世に出行くほうが、ずっと不思議なようにも思えた”という感性が素敵です。

【II 家族】《ヴェネツィアの宿》から、ヴェネツィアの宿に泊まった時、近くのフェニーチェ劇場から聞こえてくる音楽を聴きながら、著者が考えたこと。
“ずっと、自分は音楽に入りこめない、音楽がこっちを向いてくれない、と思いこんできた。いや、音楽のもってくる感動があまりにも純粋で、言葉にも色にも形にすることができないのを、ひたすら恐れていたのかもしれない。言葉の世界に近づけば近づくほど、音楽からは遠ざかった。だから、音楽好きの人にとってはひとつのメッカみたいなミラノに十年以上も住んでいたときも、スカラ座に行くことはめったになかった。自分たちとは別な世界と考えていたのだろうか。心のゆとりがなかったのか。たぶん、その両方だった。”(118p)
 ⇒言葉と音楽について、こんな風に捉えたことはありませんでした。

【II 家族】《旅のむこう》から、イタリア人の夫と阿蘇地方の鉄道に乗った時の印象。
“駅の周辺の街並のざわめきをくぐりぬけるのでもなく、またすぐにトンネルに入ったので、昼さがりの線路に覆いかぶさるようにして揺れていた竹林の緑だけが、目の奥に染みついた。気のせいか、京都あたりで見かける、人々に飼い慣らされた竹にくらべて、先史的とでもいいたいような、どこか生き物じみた緑だった。”(146p)
 ⇒“人々に飼い慣らされた竹”という表現が面白いですね。

【II 家族】《マリアの結婚》から、戦後のイタリアにおける農村部の変化について。
“(イタリア北部のロメッリーナ地方で)企業家に変身した大地主のなかには、米作りには手を出さない人たちもあった。農業にはさっさと見切りをつけた彼らは、1960年代に、イタリア経済がめざましく成長したあの時期に、それまでは中部のトスカーナがほとんど独占していた製靴産業を北イタリアのこの地方に誘致することに目をつけた。それはまもなく、ブランド製品が異常なほど歓迎されるようになって急成長をとげた時期とも重なって、マリアたちの村にも、ブランド名は公表しない下請け工場がつぎつぎに建って、またたく間に農民の経済を底辺で支える産業になってしまった。”(233p)
 ⇒イタリアで修業して靴職人になった友人の顔を思い出しながら、読みました。

締めくくりに【II 家族】《アスフォデロの野をわたって》から、著者の戦争体験を引用します。
“戦争のときも、米軍機の機銃掃射をうけて逃げまわった空襲のあとでさえ、私は死者の姿が目に入らないよう細心の注意を払うのを忘れなかった。死はなにがあっても目をそむけるべきもので、一生、死に触れないで済ませられるのなら、私はそのほうがよかった。”(187p)
須賀敦子さんの文章は、どこか透明感があるのですが、その理由のひとつは著者のこのような死生観が理由ではないかと思いました。

---------- ----------
須賀 敦子(すが・あつこ)
1929年兵庫県生まれ。聖心女子大学卒業。1953年よりパリ、ローマに留学、その後ミラノに在住。71年帰国後、慶応義塾大学で文学博士号取得、上智大学比較文化学部教授を務める。
91年、『ミラノ 霧の風景』で講談社エッセイ賞、女流文学賞を受賞。
著書に『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』など。訳書に『ウンベルト・サバ詩集』、N・ギンズブルグ『ある家族の会話』、A・タブッキ『インド夜想曲』、I・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』など。1998年逝去。没後『須賀敦子全集』(全8巻、別巻1)刊行。

湯川 豊(ゆかわ・ゆたか)
1938年新潟県生まれ。64年慶応義塾大学文学部卒業、同年文藝春秋入社。「文學界」編集長、同社取締役を経て、東海大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。
2010年『須賀敦子を読む』で読売文学賞を受賞、著書に『イワナの夏』『本のなかの旅』『丸谷才一を読む』『星野道夫 風の行方を追って』など。

2 12

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年10月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031