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2024年05月26日08:17

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伝説のプラモ屋 田宮模型をつくった人々[読書日記988]

題名:伝説のプラモ屋 田宮模型をつくった人々
著者:田宮 俊作(たみや・しゅんさく)
出版:文春文庫
価格:780円+税(2014年8月 第4刷)
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田宮模型の二代目社長:田宮俊作氏のエッセイを読みました。
裏表紙の惹句を引用します。
“田宮模型は自他共に許す世界最大のプラスチックモデルメーカー。プラモデルのために実車のポルシェを解体してしまったという「伝説」の社長。
 その彼を取り巻く人々も負けず劣らずユニークだ。CIAに始まり、カルロス・ゴーン氏、韓国元大統領、カイロの小学生、そして偉大な父まで。伝説の模型屋を作りあげたさまざまな人間群像を紹介!”
本書の原本が2004年発行なので、2018年に事件を起こしたカルロス・ゴーンの名前が出てくるわけですね。

目次は次のとおりです。
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 ・田宮模型を創った男――父・義雄の苦悩
 ・第一号プラモデルをつくった人々
 ・小松崎茂先生の御恩
 ・マブチモーターとの半世紀
 ・零戦をつくった男たち
 ・アメリカでタミヤを売りまく った男たち
 ・ドイツ人の名刺攻撃、禁煙志願のフランス人
 ・F1紳士たちの粋な計らい
 ・セナ選手とゴーン氏に贈った模型
 ・天才!人形原型師たち
 ・タイガー戦車の音にこだわる
 ・ソミュール戦車博物館、取材奮闘記
 ・投稿からブレーンになった精鋭たち
 ・カンヌ生まれのタミヤ社員
 ・精密データの三大提供者
 ・韓国朴大統領とタミヤ秘話
 ・英国軍人模型マニアの哀しき夫婦愛
 ・RCレース界のスター達
 ・私も出品、静岡ホビーショー
 ・日本一のタミヤファン
 ・カイロ日本人学校からの手紙
 ・飛行機と私
 ・タミヤ、第二の祖国
 ・これから、何をつくろうか

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印象に残った文章を引用します。

【田宮模型を創った男――父・義雄の苦悩】から。
“入社二年目、昭和三十五年、アメリカ、イギリスから、木製模型業界めがけて、とつぜん "爆弾" が落ちて来た。
 爆弾は、プラスチックという素材である。プラスチック製の模型、いわゆるプラモデルがついに輸入され始めたのだ。”
 ⇒プラモデル輸入が昭和三十五(1960)年からということを初めて知りました。まだ、六十余年の歴史です。

【零戦をつくった男たち】から。
“うれしいことに、1/50零戦が完成した時に、航空工学の権威、しかも東大の航空科で堀越二郎氏と同級生だった木村秀政さんから、銀座の料亭に呼び出され、
 「この零戦はプロポーションがあっている。初めて外国製のキットに負けない内容の飛行機がでた」
 とお褒めの言葉を頂戴した。”(116p)
 ⇒ご存知のとおり、ここに出た堀越二郎氏は零戦の開発者で、最近では宮崎駿監督の「風立ちぬ」のモデルになった方です。

【アメリカでタミヤを売りまくった男たち】から。
“私の会社は、見学に訪れる人たちは、いつでも「ウェルカム」である。特に二階のロビーフロアーは、通常の営業日であれば誰でも自由に見学できるようになっている。ここには、模型化のために購入した数台のF1や、何種類かのバイク、ソーラーカーなどが展示されている。(略)
 特に、夏休みの期間には、子供連れのお父さんたちが多い。喜んでいるのは、多分お父さんの方だと思うのだが……。”(139p)
 ⇒私もいつか静岡のタミヤ本社に遊びに行きたいと思います(笑)。

【F1紳士たちの粋な計らい】から。
“F1の模型化については、いまと違って契約関係がおおらかな時代だ。取材も協力的で、キットが出来上がった時、フェラーリチーム用に数十台を贈呈すれば、エンツォ・フェラーリのサインの入ったサンクスレターが届く、その礼状が許可書だった。
 現在のように、「相応のロイヤリティーマネーを支払ってほしい」などとは口にしない。人間同士の信頼関係や友情、仲間意識がビジネスの基盤にある良き時代である。”(153p)
 ⇒著者はフェラーリの工場があるイタリアのボローニャにも取材に行ったそうです。

【投稿からブレーンになった精鋭たち】から。
“(自衛隊の戦車長)竹村氏には、アメリカ海兵隊の友人も多く、アメリカ本国からあるいは沖縄あるいはキャンプ富士に派遣されるモデラ―の海兵隊員を、何人もタミヤに案内されている。海兵隊員にもタミヤファンが多いらしく、キャンプ富士に派遣された時など、竹村氏は「タミヤを知っているか、タミヤ本社は近いのか」と何度も聞かれたという。”(197p)
 ⇒タイトルにある“投稿”とは、タミヤが発行している小冊子「タミヤニュース」への投稿者という意味です。

【タミヤ、第二の祖国】から。
“三次元CADの導入で、木型も樹脂型も不要になってしまった。以前は金型が出来上がって、テストショットを打ち出してからの作業が、もうひとつの職人芸の世界だった。パーツの「合わせ」や、形状の微妙な修正はそこから始まったものだが、三次元CADによってそれも不要になった。(略)
 このプラモデル開発における「革命的」な変化は、さらに大きな変化をタミヤという会社に与えた。つまり、オンラインで結ばれた世界であれば、地球上どこでもプラモデルを開発することができるということである。”(271p)
 ⇒この利点を生かして、1995年に「タミヤ、第二の祖国」タミヤ・フィリピンが出来たと続いています。

「たかが、プラモデル」と蔑視することもできますが、その「たかがプラモデル」に情熱を傾けた沢山の人たちがいることを知りました。
先週読んだ『プア・ジャパン』で、野口悠紀雄氏は“日本はモノ作りに固執しすぎた”と述べていましたが、この本を読んで「やっぱりモノ作りはいいな」と思ってしまいました。

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田宮 俊作(たみや・しゅんさく)
1934年、静岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、父・義雄氏が経営する田宮商事に入社。
模型の企画・設計に携わる。77年、(株)田宮模型社長。84年、(株)タミヤ社長。94年、静岡模型教材協同組合理事長。95年、(財)タミヤ奨励会理事長。2008年、(株)タミヤ代表取締役会長。17年、(株)タミヤ代表取締役会長兼代表取締役社長。
2005年、日頃の自衛隊活動への協力に対して陸上自衛隊東部方面総監より感謝状が授与される。06年浜松市美術館にて「田宮俊作展」開催。06年に大分市美術館、07年に静岡県立美術館で催された「ボックスアート原画展」で講演。07年、世界最大のドイツ・ニュルンベルク・トイフェアにて出展40年の表彰を受ける。
著書に「田宮模型の仕事」(文春文庫)など。
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