「わたし」はありのままの真実ではない
限定的である
幻想の主体がする
いかなる決断も意味がない
やらなければならないことは一つもない 無意味である
好奇心、罪悪感、償い、マインドメソッド
すべて意味ありません
スピリットは何もする必要がないのです
その記憶が自然の恩寵です
「主体」はありのままの真実ではないからです
幻想のこの世界のシナリオの進行(家庭教育、学校教育、進路、就職)はほうっておけばよいのです
無意味であるため、失敗、挫折もまた意味ありません
どうこうする努力はいりません
マルチシナリオであろうとほうっておけばよいのです
起こることが起きるだけです
この世界はたんなる痩せ(わたし)がまん大会です
意味はありません
いかなるメソッドを主体が信じる必要もなく
ほんとうのスピリチュアルとは
無努力 無条件
の
「ただ臨在する」ことであり
幻想のいやしが「平安」です
「ただ在る」
以外の意味の
愛は
すべて条件つきなのです
「主体(わたし)」が想定されており
行為も想定されることになります
〜してくれなければ
愛ではない
(慈善行為もふくめて)
そしてその愛を現実にしようとすることは
マインドを現実にしようとすることは
その本性は無条件を否定する
好奇心と罪悪感が本性であり
マインドのコイン表裏となっています
マインド(特別の愛)の正体です
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