ウクライナのことはバレエ以外何も知らなかったので偉そうなことは語りにくいのだけれど、昨年以降それなりに勉強したので、わかりやすい例え話をひとつ。
ある日突然、中国軍が福岡とその周辺に上陸、街を占領し始めたと思ってみてほしい。
中国政府によれば、
・日本に住む中華系住民は差別・迫害されているので、助けなければならない。
・日本はアメリカとすでに軍事同盟を結んでいる。
・にもかかわらず、さらに他国も巻き込んで同盟を拡大しようとしている。
・同盟軍はいつ中国に攻め込んでくるかわからないから、その前に阻止する必要がある。
・そもそも日本人のルーツは大陸からの移住者だから、日本人は同胞みたいなもの。
・よって中国と日本はひとつの国になるべきだ。
しかし自衛隊や在日米軍の迎撃により占領行動が頓挫すると、中国軍は大量のミサイルを日本全土に打ち込み、最前線となった九州北部のインフラは破壊され尽くし、瓦礫の山と化してしまう。
中国軍の空爆に耐えつつ、米軍の支援を受けた自衛隊が反転攻勢を仕掛け、占領地の一部を奪還すると、そこで明らかになったのは、住民の無差別殺戮、拷問、性的虐待、子どもたちの拉致誘拐の事実だった。
けれど日本は憲法で戦争を放棄することを定めているから、反撃は自衛権の範疇である日本国内に留まり、日本政府は話し合いでの解決を模索、中国軍の即時撤退を求めるも、中国政府はまったく耳を貸さず、話し合いの席につこうとすらしない。
しかも日本の一部「識者」は、具体的な方策は何も示すことなく、即時停戦、話し合いで解決を、と繰り返すのみ。それどころか、日本は昔、中国を侵略したのだから自業自得、とまで言い出す者も。
以上は架空の話だが、日本をウクライナに、中国をロシアに置き換えると、今まさに進行中の、現実の出来事になる。
今年の夏も、ウクライナのダンサーたちは日本にやってきてくれた。戒厳令が敷かれているウクライナから男性は出国できないのでは? と言う人もいるが、芸術や文化を継承する彼らは積極的に海外へ出て、ウクライナのことを世界に伝えてほしい、と政府や国民の支持を得ている。銃こそ持っていないが、彼ら彼女らもまたロシアに立ち向かう戦士なのだ。
公演は2部構成で、第1部は約35分、20分の休憩を挟み、第2部は約60分。
★第1部
「パキータ」より(ドルグーシン版)
オリガ・ゴリッツァ
ニキータ・スハルコフ
カテリーナ・ミクルーハ
アレクサンドラ・パンチェンコ
ダニール・パスチューク
ディアナ・イヴァンチェンコ
カテリーナ・チュピナ
カリーナ・テルヴァル
カテリーナ・デフチャローヴァ
細部に至るまで既視感いっぱいだと思ったら、振付はドルグーシンさん。ちょっと涙出た。マールイの芸監を務めたこともある彼は、2007〜12年にはバレエ教師の肩書で日本公演にも帯同していた。マールイは夏ガラや新春ガラで時々「パキータ」を上演、振付はプティパとなっているが、実際は彼が芸監時代に振り付けたドルグーシン改訂版だったのだろう。
ただ、不思議な点もある。ウクライナ国立バレエも夏冬のガラで時々「パキータ」を上演し、振付はプティパとあるが、実際はドルグーシン改訂版だった。しかし2017年の「新春ガラ」からマラーホフ改訂版に変わった。マラーホフさんはウクライナの出身だし振付もやっているから、たぶん「あの」マラーホフさんだろう。
それが今回突然、元のドルグーシン版になった。彼も敬愛するアーティストのひとりだから他意はないが、ドルグーシンさんはマリインスキーの元ダンサーで生まれもサンクト・ペテルブルク。今あえて彼の版に変更したのには、どのような理由があるのだろう。
★第2部
「森の詩」よりPDD(ボロンスキー版)
イローナ・クラフチェンコ
ヤロスラフ・トカチュク
ウクライナの女性詩人レーシャ・ウクラインカの創作物語をバレエ化したもので、初演は1946年。日本では1972年のシェフチェンコ初来日時に披露され、1977年にも上演されたが、次に上演されたのはなぜか40年後の「創立150周年ガラ」(2017年)だった。これが好評だったのか、2020年の「初夢ガラ」でも上演され、今回は3年振り。
森の妖精マフカと人間の青年ルカーシュの悲恋話で、筋立ての骨格は「ジゼル」。バレエの男性はなぜダメ人間ばかりなのだろう。
「Ssss…」より(クルグ改訂版)
アナスタシア・マトヴィエンコ
デニス・マトヴィエンコ
近藤愛花(ピアノ演奏)
初演版(2013年)はクルグさんがシュツットガルト向けに振り付けたものだが、今回上演されたのは、2018年にノヴォシ劇場で初演される際、当時そこの芸監を務めていたマトヴィエンコさんのためにソロ・パートが追加された改訂版。ショパンの曲を使ったコンテ作品で、彼と奥さんの鍛え抜かれた肉体美に最初は魅了されたが、ぱろ的にはちょっと長かった・・・。
「シルヴィア」第3幕よりPDD(ノイマイヤー版)
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ
リアブコさんは言わずと知れたウクライナのレジェンド・ダンサー。二人の踊りには、眠気も一気に吹き飛んだ。ウクライナ支援の一環として、ノイマイヤーさんは「スプリング・アンド・フォール」もバレエ団に無償提供している。
「ファイブ・タンゴ」(マーネン版)
オリガ・ゴリッツァ
ニキータ・スハルコフ
イローナ・クラフチェンコ
カリーナ・テルヴァル
ヴォロディミール・クツーゾフ
オレクサンドル・ガベルコ
ほか群舞
オランダの著名振付家マーネンさんが、ピアソラの名曲「タンゴ」を用い、同国の国立バレエ団向けに振り付けたもの(1977年初演)。ウクライナ・バレエでの初演は今年の5月で、マーネンさんも上演権を無償で提供している。何度観てもそのスタイリッシュな印象に圧倒されるが、ここまで格好良く思ったのは初めてかもしれない。恨めしいぞ、DNA。
実は当初取ったチケットはマチネのみだったが、その後寺田さんのトークショーがあると知り、ソワレも追加した。これが去年だったら席は残っていなかっただろう。我々にとっては幸いだったが(バレエの神さま、ありがとうございます)、ウクライナに対する関心の薄れと思うと心配ではある。
フィールド・バレエの感想では回を追うごとにダンサーたちの動きが良くなることを記したが、12時開演ではウクライナのダンサーと言えどもまだ体が目覚めていなかったようで、リハーサルと本番かというほどソワレの方が良かった。元々足音の静かな人たちではあるが、ソワレの静かさは神がかっていた。
公演のタイトルには日本の観客への感謝が込められているとのことで、義援金の一部は新たにバレエ団のレパートリーに加わった「ファイブ・タンゴ」「スプリング・アンド・フォール」の製作費と、今冬日本でも上演される「ジゼル」の舞台装置の刷新にも充てられているという。
ウクライナ国民のためにも、両国政府は話し合いの席に着き、一日も早く停戦を、と語る人は多い。
だが、停戦をいちばん望んでいるのは、言われるまでもない、ウクライナの人々だ。
そしてこの戦争は、彼らが仕掛けたものではない。隣国の主権を無視して侵略を始めたロシアが撤退すれば、すぐにでも軍事面での戦いは終わる。
停戦を、と語りかける相手はウクライナではない。言うならロシアにだ。
しかし聞く耳を持たぬ相手と、どうやって話し合えばよいのか。誰か教えてほしい。
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