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2023年08月16日22:00

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数学と国語

数学と国語は、というか「頭の中で考えた事」と「現実世界で起きる事」は、異質なものである。


人間の世界では「AならばB」である、といった割りきれる事の方が少ない。現実世界では「勝負」の世界である。勝利の栄光とは、「敗北の辛さ」を他者に押し付けているのに他ならないのだ。



イソップ物語の「ウサギと亀」やアリとキリギリスは、勤勉なものが、もって生まれた「才能」に胡座を欠いているものを出し抜く、といった展開である。だが、この話は、あくま「対等な関係」であることが条件であり、「恨みっこなし」が基本原則である。それに即して言えば、「グリム童話」は、悪を正当化したものを、法が裁くという、裁く方と裁かれる方は対等ですらない。もはや「存在してはならない」レベルの人間である。





悪、即ち他人に害をなす行為を「何が悪い」と開き直る。そりゃそうだ、だって、私は俺は、可愛そうな「被害者」なんだ、と。



仲良く友達の輪を広げていこうよ!とする、少なくとも俺の理念とは対局である。当たり前のように立場が悪くなり、当たり前のように状況を悪化させる。そして、当たり前のように癇癪おこし、当たり前のように周りがキレるとビビって逃げる。そして、逃げられなければ、「当たり前のように」生け贄を見つけ出す。もはや存在が「終わっている」。



数字は「被害者面」や「劣等感」も「羨望も嫉妬」も持ち合わせ得ない。それを感じるのは、人間が数字ではないことの証左であった。



先の解放令反対一揆では、「四民平等のお触れが出た!めでたし」といった単純な結末ではない。自ら「下の存在に対等に振る舞われる」事への「被害者面」が多勢に無勢で殺戮を繰り広げたのであった。

「男の一人っ子」の心理状態が理解できて、府に落ちた気がした。











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