mixiユーザー(id:20821792)

2024年05月27日06:48

21 view

悲劇と滑稽

俺の、少なくと不穏な独り言がなくなる有効手段て何だろう。


それは、物事を「俯瞰」して見ることであった。


「学内で相手にされてない」というのは、凡そ認知されていない、という事である。



そこに、山本といい、わざわざ時間や金や労力を割いて「飲み込まれる」というのは、俺が滑稽に映るだろう。少なくとも、その手のカス相手にとっては。それは結局、過去の「とある状況」と、融合し「続けた」結果だろう。





反対に、「いや、おらんでよくね?そんなきしょいゴミみたいな連中」と「切り離し」て、離れたところから見ると、これ不思議、僕が二回になる新歓や、四回の学才の時のような、何なら一回の見学の「何だ、このネクラ連中は」という感想しか、思い浮かばなかった。



そして、当時「エロスとの出逢いが遅いと、タナトスに飲み込まれる」を地で行っていた私は、『何故か』ではなく、『必然的』に、このネクラカス集団に飲み込まれていった。




その姿が、彼らの中の一部には滑稽に映り、そして離れたところから彼らを見たとき、滑稽どころか認知すらしないだろう。そんな彼らの一部を『気まずくさせ』てから、ケンカ買う(暴力による制裁、洒落にならないレベル)をしたいのだが、普通にビビるし、逃げるわな、ああ、自ら死ぬってか。大津の中学生みたいにいじめられて。

そりゃ、『ハミるべくして、ハミってる』からだろう。








0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する