俺はよく、「東京と大阪、どっちが良いのか」と考えることが多かった。だが、これは大阪視点な、ものの考え方どある。東京に一瞬でも滞在すると、今ここにいる「東京」以外、多さかだろうが名古屋、仙台であろうが、全て「東京以外の地方」なのだ。ましてや、
普通、嫌いな奴、うっとうしいと感じるヤツと行動を共にするはずがない。学校や職場でない限り。だが、もし俺がそれを「プライベート」でも続けていたのだとしたら、それは俺の心の「病気」である。モヤモヤは、書きだしたり誰かに吐き出せばスッキリするだろ
「を、楽しもうぜ!」というセリフがある。では、の中には、何が入るのか?野球か、恋愛か、子育てか、それとも音楽か、色々あるだろうと思われる。本来、何事も楽しめばいいだろう。ただ、「楽しい」思いをするには、通常、対価
前回、敢えて「止める」と「辞める」の話に触れた。せして、「続ける」ということが、間違った方向に行かないようにするには、努めて「立ち止まる」ことが必要である。では、「止める」と暇になって、「続ける」というと忙しい、って事だろうか。思うに、二つ
「つづける」の対義語は「やめる」であろう。ただ、「やめる」ってのは、この場合、「辞める」と「止める」の二つがあった。俺は本当に長い間、この二つの「やめる」を混同していた。その結果、「続ける」という行為が、「間違った方向」として、修正されずに
「何が嫌いかよりも、何が好きかで自分を語れよ!」というセリフの漫画が昔あった。確かに好きな事を語るのは、気持ちいだろう。究極の所、「自己愛」の人間にとって、自分が賞賛されることは、何物にも代えがたい快楽である。だが、人間は「好きなもの」より