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2023年08月06日08:04

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ノンデュアリティオートマチックについて

ノンデュアリティオートマチックについて


魂(自我、自我意識)

体外離脱状態から
たとえばバスや列車にのるなどの夢(象徴)をつうじて
朝という投影の中の肉体にもどる

さて、上記とおなじく
個を現実化した自我意識や
その背景としての意識というのものも
死んでもつづくものである

意識をつくりだしている
I AM
(コースのいう決断の主体)もしかりである

I AMは意識をつくりだし
その意識上で
自我

聖霊(ナチュラルスピリットという記憶)

選択する
(しかしナチュラルスピリットの記憶のほうを選択する という表現は方便であり
ほんとうのナチュラルスピリットの記憶は
決断および主体よりも以前の
ナチュラルスピリットへの帰還の無境界の領域 ボーダーランドに、ただある、ので個の努力とは無関係である)

奇跡講座は
朝目覚めたあとに学ぶものであるため
聖霊(ハート)からの思考

まず自我(と脳)ととともに本を学んでいく
それゆえ
神は依然として外側にあると考えざるをえないために
恐れもいだくのである

しかしほんとうは
奇跡講座を学ぶかどうかの衝動は
じつは
自我がしているわけではない

それゆえ恐れつつも
学びはおきることになる

自我とは
自律、コントロールという誤った信念(解離催眠)であり
そのあと宇宙を誤創造した

しかしながら
根本的に個を作ったのは個ではない
自我は自律存在ではない
(だからといって盲目の自我ではなく、ナチュラルスピリットが直接、不自然な宇宙を誤創造したわけではない。)

幻想の宇宙がはじまるまえ
非個(ナチュラルスピリット)が
個(I AM)を空想し、解離催眠による現実化(自我)をしていたのである 

したがって
個を癒すのは、個ではありえない

すべては
ナチュラルスピリット(実相)から
の衝動である

個という好奇心(I AM)

それの帰還カ(いやし)

である

そして二つの実在

ない(ノンデュアリティ)
であるため

すべての衝動はオートマチックなのである

そしてナチュラルスピリットは
無意味なワクワク砂場遊びを二度としないことだろう
なぜなら
夢によって
存在(エネルギー)はなんにも
増えることはなく、ただ疲れただけだったのであるから
つまるところ
無意味な夢の旅でしかなかったのである








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