本日の湧いた言葉
自我とは個が現実であるという信念である
それは全体ではないという信念であり
足りないという信念である
したがって自我は
愛や欲をもつ
愛欲(かたち 縁 えんに関わる特別の愛をもとめる)
そして、縁 えん ふちをもつ個の魂は
ナチュラルスピリットではないという罪悪感
や怒りをもつ
これはナチュラルスピリットのエネルギーが
歪曲された状態であり、癒されて回復できるものだ
わかりやすく投影された人間を含む動物について例をあげると
これらは行動する
なんのためか
それはエネルギーを獲得するためである
つまり食べつづけなければ死ぬ、幻想の存在である
つまり
求め、獲得しつづけなければ死ぬのである
これは、不自然な宇宙を誤創造した
さいしょの自我の信念の
投影である
植物を底辺としたピラミッド状態の
弱肉強食の逆さまの食物連鎖は
ナチュラルスピリットから離れたという
足りない
という狂った信念の投影である
同じ自我の信念から同様に
自我は愛欲をもち
(ほんらい在るがままのナチュラルスピリットに回復したいという衝動を、
架空の対象を獲得したい衝動へと歪曲している)
しかし
ナチュラルスピリットが基盤であるという記憶に癒されている状態であるならば
幻想のなかで存在しているすべての衝動や現象は
自然なナチュラルスピリットの(歪曲された)エネルギーであると感じることができるため、
世界について獲得したり、憎んで排除するものがない
という
ひとつのエネルギーのあらわれとして感じるわけである
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