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2023年07月28日20:28

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必要性

去年の11月、私は会社でのマナー研修を終え、大阪駅へと向かっていた。



その時、ある男に声をかけられた。そいつは地元が一緒だったが、ただそれだけだ。それ以上の感想が思い付かないのである。




俺は彼を見たとき、とても白けた顔をしていただろう。所謂「白眼視」というやつであろうか。





なぜその目に俺がなったのかといえば、そいつへのそれまでの俺の評価が、そのようにさせていた、としか言えなかった。率直に言えば「不信感」そのものである。






「何の用や」と俺が尋ねると「遊ぼうや!」である。ただ、俺は正直「知らねえよ」という態度を崩すことはなかった。






その晩に、そいつからワン切りがあって、それきりである。おそらく、俺が冷徹な態度をとっていたので、「もう、こいつは使えない」と、烙印を押したのであろう。要するに、コントロールができない、ということを意味していた。言うまでもなく、私を「マインドコントロール」出来ないと、判断したのである。




俺は、こいつに対しての記憶を、まるで思い出せなかったのである。やはり人間というものは、どうでも良い記憶は、締め出すように出来ているのであろう。





これと、少し状況は異なるが、似たような体験をしたことがあった。

大学時代にジャズサークルなど、ごみ溜めに在籍していたことは、唾棄すべき記憶ではあるが、そこでフォークソング部を「締め出されて」流れ着いた奴らがいた。おそらく、フォーソンで顰蹙を買って、ジャズサークルに流れ着いたようであった。どこの世界でも、鼻つまみ者はいるということである。




その中で、例えば俺に合宿でケンカ売った陰キャや、「クズはばっかりや」と蔑んでいたカスなど、掃き溜めの中にでも、上下をつけるのである。もちろん、「自分のクソの部分」を周りに撒き散らしているという意味で、ごみ溜めの中のゴミである。こいつは、ネクラとか抜きにして、本当にゴミそのものである。笑えないことをした責任をとらない。故に、誰にも相手にされず、誰の記憶にも残らない。特に彼らが、「他人から恨みを買う」「敵に回す」ということが、どういう事か学ぶべきだったろうが、俺もこいつらに興味がない。なせなら、知る理由がないからだ。





さて、本来なら、俺がほんの少しでも、ここに在籍などはしないだろう。少なくとも今なら、頼まれてもやらないだろう。



にも関わらず、ここにいたのは、端的に言って俺の「心の病気」が原因に他ならない。



それは「怒りを封印」するという病気だった。「自己の責任」が伴う範囲で、相手と戦ったり、離れたりしたらいだろう。それは自然なことだった。




「責任」とは、自分自身に対して「自分を守る」という責任であった。換言すれば、「自分を守る」という責任を放棄した時、将来俺に対しての「起こり得る事」に、誰かが責任を取ってくれるのか?




早く「母」のせいにして、「不必要な自責」から解放されたかったのである。その上で、俺は「俺にとって必要な他責」を実行すべきだった。




それは「自分を守るという責任」を果たすために、「他責」つまり「ケジメ」を取りに行く、と言うことを蔑ろにしてはならなかった。




俺が、冒頭の男に対して取る「ケジメ」というのは「縁を切る」事である。そして実際、その通りになった。




そして、ジャズサークルの陰キャやカスに対しての言えば、「死ぬほどの苦痛と恐怖」を味あわせる、である。殺しなどはしない。ただ、真正面から、逃げられないようにジワジワ追い詰めるだけだった。人は匿名になれば増長した態度になるのだろうか、俺が実行しなくても、そいつの中に「死ぬほど追い詰められて当然」という恐怖がある限り、勝手にビビって逃げ回るだけだ。




最後に、そこを「辞めたら」どうなるかだって?



当然、俺はそこと無関係であり、暇潰しと憂さ晴らしを兼ねて、俺が辞める、辞めざるを得ない原因を作ったヤツを襲うかな、せれとも、その家族も巻き添えにするか。



俺は「その状況を辞める」だけで終わりだか、相手は「人生を辞める」レベルまで、追い込まれるということである。




覆水盆に返らず。信用を反古にした、その結末は




……






どうでもいい、俺には関係ないことであった。





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