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2023年07月10日23:13

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ZARDの坂井泉水とバブル経済 第8回目 4thアルバム「揺れる想い」リリース30周年、新自由主義政策 官から民へ、フリードマン理論 k%ルール、アダム・スミス

<坂井泉水とバブル経済 第8回 新自由主義へ>

 第7回、6月4日 横浜市観光、戦後復興経済 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985239710&owner_id=32437106

 第6回 揺れる想いシングルリリース30周年 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985091153&owner_id=32437106

 2023年7月10日(月)、本日ZARDの4thアルバム「揺れる想い」のリリースから丁度30年の節目を迎えた。売上枚数は、ZARDオリジナルアルバム史上最多の220万枚、1993年の年間アルバム売上ランキングにおいて、堂々の1位を獲得した。全10曲入りの作品は、夏にふさわしい、爽やかで疾走感が漂うナンバーが数多く収録されている。
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 今年はZARDがブレイクして丁度30年に当たる。1月27日には6thシングル「負けないで」、5月19日には8thシングル「揺れる想い」のリリース記念日に合わせて、You tubeチャンネルにて、それぞれミュージックビデオが公開された。両曲は、アルバム「揺れる想い」に収録されている。

 公共放送NHKも国民的応援歌として定着した「負けないで」リリース30周年企画を打ち出した。2023年2月21日に、NHK総合テレビで放送している「歌コン」にて、トリビュートバンドのSARD UNDER GROUNDを招き、ZARDの坂井泉水とのコラボを実現させたのである。スタジオのSARD UNDER GROUNDと、スクリーンに映る坂井泉水が、共に「負けないで」を熱唱した。

 詳細 第3章より https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984463159&owner_id=32437106

 負けないでが発表された1993年1月27日から、アルバム揺れる想いのリリース時は、丁度バブル崩壊時と重なる。一般的に2005年まで続いたといわれる就職氷河期の始まりは1993年だった。

 振り返ると、1993年は冷夏に見舞われ、梅雨前線が長期間日本列島に停滞していた。気温は、平年より2度から3度下がった。冷夏の原因は、1991年フィリピン・ルソン島のピナトゥボ火山の噴火にあるといわれている。火山噴火と冷夏の因果関係は、大量の火山灰が太陽光を遮るからである。気温の低下と、日射量の不足により、作物の生育にも影響が出た。日本では、米騒動が起きて、食料品の棚から消えた。政府はただちに手を打ち、東南アジアのタイ政府に働きかけ、倉庫に保管されていたコメを買い取ったのである。その年日本では、タイ米が輸入された。日本人の口には合わず、翌1994年に、国内で稲の生育状況が元に戻ると、タイ米は市場から消えた。エルニーニョ現象も冷夏に拍車をかけていた。

 2023年は、1993年以来の規模となるエルニーニョ現象が発生する可能性がある。平年より海水温が高くなり、大雨や台風の被害が懸念される。現に6月から7月の梅雨時、九州地方では大雨に見舞われていた。偏西風が蛇行した影響により、関東地方は平年より降水量が少なく、7月から晴れの日が続いている。

今回は、バブル崩壊に伴い、日本政府が方針転換した「新自由主義政策」をとりあげる。

 
    第2章 新自由主義とは 古典派アダム・スミスから

日本は、第二次世界大戦後、景気の波がありながら、ものづくりの技術を生かして、完全雇用を達成し、国の財政も安定していた。

あのマクロ経済の産みの親ケインズ理論によれば、不況時には、借金をしてでも財政出動して、雇用を増やすことにより、失業者を救済する必要がある。失業者を放置すれば、生活保護費を含め社会保障費が圧迫される。ケインズは、ソ連型の社会主義を否定しながらも、公共事業に関しては、国の力が必要と主張していた。日本は一貫して、ケインズ政策をとっていたのである。兼ねてからケインズ理論に否定的な立場のグループが存在していた。1920年代に結成されたシカゴ大学を中心としたメンバーである。中心的存在は同大学で教鞭をとり、1996年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカ人のミルトン・フリードマン(1912年―2006年)だった。彼は、政府の公共事業費の投入に関して、必ずしも賛成ではなかったのである。新たに古典派のアダム・スミス理論に立ち返り、新自由主義政策を唱えた。アダム・スミスは、1877年に刊行した書籍「国豊論」において、政府の重商主義を批判し、分業の重要性を提唱すると共に、経済の自有化を訴えた。民間の活力を最大限に生かす「自由放任主義」という。イギリスは、頭脳流出を避けるべく、1774年に機械輸出禁止令を出して、技師の海外渡航を禁じていたのである。1786年に、アメリカ独立戦争に伴う、フランスとの講和条約、英仏通商条約により、イギリスの貿易に有利な状況になった。ブルボン王政のフランスは、自国の産業保護政策をとっていた。新たに英仏通商条約により、イギリスからフランスへの輸入関税が引き下げられたのである。従って、安価でイギリス製品が入ってくることにより、フランスの綿産業は壊滅的な打撃を受けた。イギリスに有利な通商条約は、ブルボン王政が倒れた1793年に破棄された。後のフランス第一帝政ナポレオン・ボナパルトの起こした戦争の遠因は、1786年の英仏通商条約にあるともいわれている。ヨーロッパ各国に、イギリスへの大陸封鎖令を参加させ、フランスの産業を保護し、現在のEUのように大陸を一つにまとめるべく、遠征を続けた。

 詳細 イーデン条約 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982734077&owner_id=32437106

 写真 掲載元 prezi https://prezi.com/nvznakixt6rv/2/
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 アダム・スミスが生きた時代、イギリスでは、世界で最も早く議会制度・政党政治築きあげていた。制度を支えていたのは、産業資本家である。国王は儀礼的な存在となり、議会で物事を決めていた。東インド会社を中心に、保護貿易を経済の柱としていた。植民地獲得を巡り、第二次英仏戦争、アメリカ独立戦争が続き、軍事費を調達するため、当時の政府は大量の国債を発行していた。借金だけでは国家財政を支えきれなくなり、増税により、国民の懐を苦しめたのである。アダム・スミスは、利権を巡っての戦争を続ける政府に対して、不支持の立場だった。借金体質を変えるには、国民に負担をさせる増税は得策ではないと判断していた。経済を良くするには、古い体制を打破し、新しい理論が必要である。アダム・スミスは、円滑な他国との貿易の妨げになる重商主義を否定した。重商主義とは、政府が貿易を管理する経済体制のことである。当時富の象徴となる金を蓄える必要性から、輸入に規制をかけ、輸出を振興していた。産業革命により、新しくものが作られる時代、他国と強調して、物流網の確保が望ましかった。彼は、民間に事業産業をうながし、海外との貿易により、豊かになると主張した。アダム=スミスと共にリカードも「自由貿易主義者」として知られている。市場のメカニズムを重視し、政府の介入を出来る限り避けることを「小さな政府論」と呼ぶ。



 政府が中心となるのは、主に国防、司法行政、公共設備である。公共設備では、現代でいうと、電気、水道、ガスなどである。政府が介入することにより、価格を調整できるのである。全て市場のメカニズムに任せておくと、不当な値段を庶民に突きつける恐れが高い。一部の富者が水道や電気、ガスなどの公共インフラ会社のトップに立つと、強気の価格設定をする。電気やガス、水道は、娯楽とは異なり、生活のためには使用しなければならない。庶民の弱みを握り、それぞれのインフラ会社が、示し合わせて、価格を高くすることもできる。公共料金が嵩むと、個人も企業も負担増により、生活が苦しくなる。公共設備に関しては、適切な料金にするためにも、国の関与が必要だった。日本では、電力会社に関しては、地域独占を認めていた。経費がかかれば、その分、電気料金に上乗せされる。電力会社は、エネルギー価格の高騰に伴い、原材料費が上がると、政府に値上げ申請を行う。政府は、各電力会社に人件費のカットを含め、経営費削減を条件として突きつける。電力会社は、一定額の利益が保障される代わりに、政府の指導を受けながら、経営体質を改善することが求められる。原材料費や会社の人件費を含むコストに、一定程度利益の上乗せが認められることを「総括原価方式」という。

 詳細 Selectra https://selectra.jp/energy/guides/ryokin/denki-soukatsugenka

東日本大震災に伴う原発事故により、2011年春先と夏場を中心に、電力供給が逼迫すると、事態が変わった。政府は、電力の自有化を容認し、2016年4月に全面解禁された。地域独占を認める代わりに、政府が監督権を行使する従来の方法では、限界があった。新たに自由競争により、電気料金の抑制を狙い、他企業の参入を許したのである。



アダム・スミスは、経済学者でありながら、哲学者でもある。生誕地スコットランドの首都にあるグラスゴー大学で哲学の教鞭をとった彼は、心理学と経済学を結びつけて理論を打ち立てた。その一つが「分業」である。著書国富論では、次の一説がある。「私はこの種の小さな製造所を見たことがあるが,そこでは10人しか雇われておらず,そのうちの何人かは二つか三つの別々の作業をしていた。しかし,彼らはきわめて貧しく,必要な機械もいいかげんにしか備えていなかったのに,精を出して働いたときには,一日に約12ポンドのピンを自分たちで造ることができた。1ポンドで中型のピンが4000本以上ある。それだからこの10人は,自分たちで一日に4万8000本以上のピンを造ることができたわけである。したがって各人は4万8000本の10分の一を造るわけだから,一日に4800本のピンを造るものと考えられていいだろう
スミス『国富論』第5編第1章水田訳,pp.pp.23-26」

  つまり、同じ労働力を最大限に生かすため、従業員一人一人の特性を見極める必要がある。適材適所の言葉通り、従業員の能力に応じて、生産部門、営業部門などに、配属することにより、労働力を最大限に生かせるのである。一人一人の能力を発揮することにより、社会全体に富をもたらすことができる。アダム・スミスは、確かに利己心から商売をして、儲ける必要性を説いていた。哲学者らしく、自分の富を優先して、人を騙す行為は、身を滅ぼすと警告していた。なぜ悪徳な商売は失敗するのか、人々の共感を得られないからである。商売においても、購入者が満足感を得ることにより、成り立つからである。現代世界でも、商品説明において上手い言葉を並べても、購入者が損したと感じると、悪い噂がのぼる。結果的に、その商品を発売した会社は評判の悪さから、市場から排除されてしまう。人と人は互いに共感することにより、社会生活が成り立つ。他者に寄り添う気持ちが「公平な観察者」としてより広い視野で物事を判断できるようになる。偏った視点では、広く共感を得られない。多くの人の気持ちを考えて、生産することにより、消費者も販売側も「得」をする。従って、「神の見えざる手」によって、国全体が豊かになる。1759年に刊行された著書「道徳的感情論」の中で、人々は共感することにより、経済成長を達成できると説いていた。先に紹介した1776年に発表した「国豊論」と共に二大著書として、読みがれている。

 イギリスが、技術者の海外への渡航を認めたのは、1825年だった。1820年にイタリアの結社カルボナリの蜂起、プロイセンの学生から成るブルシェンシャフトなど、ウィーン体制に反対運動が起こっていた。1814年から1815年まで2年に渡って開かれたウィーン会議では、民主主義を否定し、ナポレオン登場前の状態に戻されたのである。つまり王政復古を意味する。各政府協調して民主化運動の鎮圧に乗り出す必要性から、イギリスも技師の渡航を認め、貿易の円滑へ前進した。1840年に機械輸出禁止令を完全に廃止し、各政府が協調する時代に入ったのである。

 詳細 世界史の窓、アダム・スミスより

 写真 掲載元 資本主義の発展と弊害よりhttp://homepage1.canvas.ne.jp/minamihideyo/note-rekishi.htm
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   第2章 安定的な財政へ kパーセントルールとは

 アダム・スミスの時代から200年、当時と比べると、グローバル化が一気に進んだ
。改めて焦点が当てられたのは、貨幣需要の安定性である。アメリカ人経済学者ミルトン・フリードマンは、中央銀行が貨幣を調整すれば、経済が上手く回ると主張した。

写真=2004年頃のミルトン・フリードマン 掲載元 ウィキペディア
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1959年に、長期のインフレ率をコントロールする案を発表した。中央銀行が、予め決められた割合(kパーセント)だけ、名目貨幣供給量を非裁量的に増やすと、経済が安定すると説いたのである。いわゆるkパーセントルールという。kは比例定数である。

 以下の式で表される。

 M=kPY

Mは中央銀行が市場に供給する貨幣量、kは、比例定数、つまり一定を意味する。
Pは物価指数、Yは完全雇用国民所得である。理論的には、中央銀行が貨幣Mを増やすと、物価Pのみ上昇に転じる。比例定数kとyの数値に変化はない。

 つまり、貨幣を供給すれば、物価がひたすら上昇に転じるのである。インフレが進行する中、名目国民所得を表すPYも数値が変化する。物価水準の変動による影響をのぞいて算出された実質国民所得は、名目国民所得÷物価Pで示す。物価P×実質国民所得Y=名目国民所得ということになる。

 名目国民所得PYが1%上昇すると過程すると、M=k×1%=k%になる。

 マネタリストのフリードマンは、景気・不景気に問わず、中央銀行が安定的に貨幣を供給することが、経済的に望ましいと考えた。現に1965年のベトナム戦争介入前まで、アメリカ経済は、平均GDP比プラス4,8%に対して、インフレ率1,2%だった


 実際中央銀行が、インフレターゲットを定め、市場に貨幣(M)を供給すると、計算上物価(P)は上がる。確かに、物価上昇に伴い、企業の収益もそのまま上乗せされる。すると、経営陣の懐が豊かになるにつれて、労働者の賃上げの要望に応えやすい。それでも物価上昇に、賃金が追いつくまで、タイムラグが生じる。政府と中央銀行が、景気刺激策を行っても、労働者に還元されるまで時間がかかる。中央銀行が、先行してマネーを供給すると、物価の上昇に賃金が追いつかない可能性が高い。

 労働者の生活水準にかかわるのは、失業率である。賃金の上昇率と失業率の相関関係を示すグラフがある。イギリスの経済学者アルバン・ウィリアム・フィリップス(1914年―1975年)は、1958年に論文の中において発表した。

 通称フィリップス曲線は、縦軸にインフレ率(物価上昇率)、横軸に失業率をとったときに、両者の関係は右下がりの曲線となる。フィリップスが初めて発表した時は縦軸に賃金上昇率を取っていたが、物価上昇率と密接な関係があるため、縦軸に物価上昇率を用いることが多い。

 以下 コトバンク フィリップス曲線 引用 https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E6%9B%B2%E7%B7%9A-8092


失業率が低下すると賃金は急速に上昇し、逆に失業率が増大すると賃金は徐々に低下することを示している。完全雇用と物価安定の間にはトレード・オフが存在し、現実にはこの曲線上のどこに経済を置くかという問題にならざるをえない。

写真 左 掲載元 独学で目指す!公務員試験勉強塾 https://bestkateikyoshi.hatenablog.com/entry/2020/09/21/073000
写真 右 掲載元 ニッセイアセンジメント株式会社
https://www.nam.co.jp/market/column/trend/2014/140122.html
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フリードマンは、人々の期待が固定している短期にのみフィリップス曲線は右下がりの曲線となると主張している。彼によれば、長期的には人々の期待が変化して調整が行われ、フィリップス曲線は図のLLのような自然失業率の点からの垂直線になるという。ここで自然失業率とは、労働市場の構造や賃金構造によって決定されるその経済特有の失業率である。したがってフリードマンによれば、長期的には、完全雇用と物価安定との間にはトレード・オフが存在しないこととなる(自然失業率仮説)。
[畑中康一]

 さて、かぎになる、完全雇用国民所得とは、完全雇用水準での雇用量を投入したときに決まる、総供給量(総生産量)の水準で均衡した国民所得のことをいう。 現実の均衡国民所得と完全雇用国民所得が一致していると、財市場と労働市場は共に均衡していることを表す。つまり、失業者がいない望ましい経済が実現していることを示している。

 フリードマンのk%ルールは、1944年に始まったブレトンウッズ体制による固定相場制時代においては通用した。また原油価格もきわめて安く、1973年の第4次中東戦争に伴うオイル・ショックが起こるまで、1バレルたったの3ドルだった。
 原油価格と共に為替レートが変動する時代において、物価にも影響が出やすい。悪い物価上昇が起これば、政府は中央銀行と協調して、対策を練る必要がある。

 詳細 ブレトンウッズ体制について 第2章(1)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983367381&owner_id=32437106

  第3章 バブル崩壊へ

 過度な景気刺激策は、一歩間違えると、財政的に大きな負担になりかねない。ミルトン・フリードマンは、米国とのかかわりが深い日本の経済の動向を注視していた。日経平均株価の過去最高値は、1989年12月29日大納会で記録した3万8,957円44銭円だった。フリードマンは、既に危うさを指摘していた。

 詳細 Web Voice 2022年3月10日付け https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/7092

1990年2月7日にイタリア経済誌に対して、「東京の株式市場の時価総額はすでに500兆円を超えているが、この数字は世界の株式の40%近くに当たり、決して健全なものとは思えない」と見解を述べた。1990年3月に入ると株価は暴落、3万円を割り、年末には2万円台前半まで下落、翌年には2万円も割り込むに至った。
金融市場の逼迫、貨幣量(M2+CD)成長率の急低下にもかかわらず、日銀は資産バブル潰しに固執し、ハイパワード・マネーを減少させ、金融引き締めを1992年半ばまで継続した。

ハイパワード・マネーとは、民間部門(企業と個人など)が保有する現金と民間金融機関が保有する中央銀行預け金(法定準備預金)の合計額のことを差す。

日銀が公定歩合引き下げに乗り出した頃にはM2+CD成長率はマイナスに転落していた。
景気には、アクセルとブレーキの調整が必要である。日本政府は、アメリカの顔色をうかがいすぎて、手を打てなかった。きっかけは、1987年2月22日のルーブル合意にある。

 詳細 ルーブル合意 第2章 終わりの方 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984320126&owner_id=32437106

当時G7の首脳がフランスのルーブルに集り、行き過ぎたドル安に歯止めをかけるべく、協調介入に乗りだすことで一致したのである。バブル期真っ只中の日本は、加熱した景気にブレーキをかけるため、日銀が公定歩合を引き上げるタイミングを考えていた。金利を上げれば、日本の円に投機マネーが入る。従って、円高に触れることにより、ルーブル合意の取り決めに反する政策をとることになる。その結果、バブルを放置せざるを得なかった。

 写真 掲載元 日経新聞 2015年9月13日付け https://www.nikkei.com/article/DGKKZO91686760T10C15A9NN1000/
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 本腰を入れたのは90年3月だった。政府は大蔵省を通じて「総量規制」を敷き、民間銀行に貸し出し審査の厳格化を命じた。同年7月に地価税法を施行し、土地の売買の際に税金をかけたのである。日銀は、91年に公定歩合を2%から6%へと引き上げた。

 市場の流動性が低下し、土地神話は崩壊した。土地価格の急落による弊害は大きく、銀行は貸した資金を回収できず、「不良債権」を抱え込むことになった。

 バブルの崩壊は、91年3月から始まったといわれている。景気の悪化により、リストラの敢行やボーナスの削減など、労働者が気付くまで、若干時間がかかる。93年には、テレビメディアでも「不況」と報道されるようになった。

 政府は、黙って見過ごしていたわけではなく、失業者の救済に当たった。93年4月13日、政府は総額13兆円規模の総合的な経済対策が決定された。 その内訳は,社会資本の整備等に10兆6,200億円,中小企業対策,民間設備投資の促進に2兆4,300億円等となっている。ケインズ理論に習い、公共事業を興して、新たに雇用を創出したのである。国や地方が管理する、競技場やプールやジムを含めたスポーツ施設、博物館や美術館、劇場などを建設した。事業を興こすにあたり、一時的に失業者を救済したとはいえ、長い目でみると、重荷になる。施設の維持のために、多額の管理費を要する。利用者から得られる会費や入場料などでは到底足りず、行政の重荷になった。いわゆる「ハコモノ行政」として、一般市民から批判の対象にされた。

 フリードマンは、ケインズに批判的な立場だった。彼は「大きな政府」から、「小さな政府」への転換を主張し、民間に事業を任せる必要性を説いたのである。

 日本政府も民営化に着手し、2007年10月1日から郵政組織を解体して、郵便、簡易保険、郵便貯金の3つに分割した。また民間の活力を生かすべく、法人税も段階的に下げていく。1984年時点で法人税は最高43,3%課せられた。現在は資本金1億円以上の企業だと、一律23,2%にとどまっている。法人税の減税に伴い、一般市民が負担を強いられ、消費税の増税に跳ね返っているとの見方もされている。

 詳細 THE OWNER 2022年8月15日付け https://the-owner.jp/archives/259

 ケインズの「大きな政府論」に対して、フリードマンの「小さな政府論」は、正反対である。ケインズ理論が修正資本主義といわれるとおり、弱い人にも手を差し伸べ、所得格差を縮める狙いを持つ。対照的にフリードマンの理論は、弱肉強食の世界、減税と歳出削減をうちだすことにより、富める物は富む、逆に貧しいものは放置される。

 現にアメリカは、所得格差が激しく、その分弊害は大きい。日本もフリードマンの理論に従うにつれて、所得格差がついた。平成の大不況の始まりから30年、コスト・プッシュ型のインフレに伴い、労働組合が団結して、経営陣へ賃上げ交渉を行った。2023年の春闘の成果が現れ、5月に労働者の名目賃金は、28年ぶりの水準となるプラス2,5%上昇に転じた。それでも物価の上昇率と比較すると、労働者の賃金は低く抑えられている。物価の影響を加味した実質賃金は、1,2%減である。

 掲載元 沖縄タイムス 7月8日付 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1183457
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 30年前にリリースされた「揺れる想い」に収録された全10曲は、悩みなく、青春を謳歌するバブル期の若者たちが描かれている。作詞者坂井泉水がブレイクを果たした頃、先行きの見えない不景気に突入した結果、世界観も変わった。2004年6月23日に発売された38thシングル「かけがえのないもの」の歌詞では、バブル崩壊後の不安定な世の中の一面が見える。Aメロの歌詞の一節「あの人は勝ち組なのかと、暫くはわだかまりがあって」

 雇用形態の不安定さ、大企業と中小企業の格差が開くにつれて、勝ち組、負け組みの言葉さえ生まれた。フリードマンの自由主義に従えば、強いものが生き残る社会に変わる。結果を残せないものは、淘汰されていく。いわゆるダーウィンの進化論にたとえると「適者生存」である。

 ZARDの坂井泉水は、バブル崩壊に伴い、ブレイクを果たしながら、メディアの前から姿を消した。彼女自身は、景気不景気に問わず、未来のある若者に可能性を感じていた。歌詞を読むと、失敗しながらも、立ち直っていく主人公の姿が見える。

 写真 掲載元 坂井泉水インスタより https://www.instagram.com/zard_izumi_sakai_0206/
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若者の雇用安定、子育て環境の整備を含め、日本政府が舵取りを担う。少子高齢化により、歳出増加が懸念される経済の建て直しに向けて、難しい時期にきている。


 

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