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2023年05月19日23:18

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ZARD坂井泉水とバブル経済 第6回目 1993年の経済 2023年第6回、第7回 丹沢山麓秦野市を中心に旅する〜揺れる想い〜 揺れる想いリリース30周年記念、弘法山公園、瀬戸屋敷 キジとイソヒヨドリ

元AKB48の島田遥香(30歳)が、引退後アイドルのセカンドキャリアを支援する社長業として奮闘する様子が、ネット上で紹介されている。彼女自身、2017年に芸能界引退後、会社員、留学を経て、2020年に起業した。芸能分野において、長く活躍できるのは一握り、人材会社が、雇用主との間に入ることにより、現役アイドルの将来不安は幾分解消される。既に7人の元アイドルの就職をサポートしたという。
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=7416989

  <ZARD坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2023年 第6回4月29日(土・祝)第7回5月4日(木・祝)〜揺れる想い〜>

 前回 第4回、5回 7thシングル「君がいない」リリース30年 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984886046&owner_id=32437106

 ZARD坂井泉水とバブル経済の 前5回目 4月8日 流動性の罠 曲のテーマ「Teen age dream」https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984790835&owner_id=32437106



 今回は、ZARDの坂井泉水ゆかりの地、厚木市、伊勢原市、秦野市、その他西隣の足柄上郡松田町と開成町が舞台である。小田急線の秦野市渋沢駅ほど近くで育った坂井泉水は、高校時代は伊勢原市へ、短大時代は厚木市へと通っていた。2023年のゴールデンウィークは、4月の暑さにより、ツツジは見頃を過ぎ、ポピーが咲き出していた。今年は木々の芽吹きが速く、既にGWの頃には緑が濃くなっている。
各公共施設では、5日の子供の日に合わせて、端午の節句の飾り付けが行われていた。都市部から離れ、山間の町で育った坂井泉水の歌詞をモチーフにした旅、今回のテーマは8thシングルの「揺れる想い」、5月19日にて、リリースから30年の節目を迎た。CD売上枚数は123万枚、ZARD史上では、1993年1月27日に発売された6thシングル「負けないで」の160万枚に次ぐ数値である。負けないでのリリース記念日には、トリビュートバンドの「SARD UNDER GROUND」と共に、それぞれオフィシャルYou tubeチャンネルで、フルサイズのミュージックヴィデオ(MV)を公開した。

 写真 掲載元 株式会社KDDI総合研究所 2020年10月22日付 https://www.kddi-research.jp/topics/2020/102201.html
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 今回の揺れる想いのリリース30周年企画において、ZARDは、負けないでに続き、フルサイズのMVを公開する。対して、SARD UNDER GROUNDは、新たな取り組みを始めた。配信にて1st Degital Single「揺れる想い tribute2023」をリリースする。同曲は、デビューアルバム「ZARD tribute」にも収録されていた。3年8ヶ月のときを経て、源曲に近い形に仕上がり、新たに世に送り出す。

 写真 掲載元 BARKS 2023年5月12日 https://www.barks.jp/news/?id=1000233891
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揺れる想いと負けないでは、ZARDの代表曲、2014年12月23日に、翌2015年の秦野市制定60周年記念事業の一環として、共に渋沢駅の駅メロとして採用された。上り線と下り線、それぞれ列車の接近時と発車時に、オルゴールメロディーが流れる。上り線は「負けないで」、下り線は「揺れる想い」だった。渋沢駅は、高校入学時の83年4月から、秦野市を離れる96年まで、継続的に利用していたことで知られている。揺れる想いの歌詞の内容から、新緑でまぶしい季節を旅する男女の姿が見えてくる。

 リリース時の93年、日本経済は30年続く低迷期の始まりだった。株価や土地価格の下落により、一般の人々の間でも「バブルの崩壊」を実感していた。日経平均株価は、1989年12月30日、一年で最後の取引となる大納会で記録した3万8915円を頂点に、翌90年以降は下降曲線に入る。93年は、円高により、輸出産業が打撃を受け、企業経営は軒並み苦しくなった。ドル円相場は、1990年4月に160円、対照的に93年1月は125円,1銭、同年8月に103円,71銭まで円高が進行した。日経平均株価は、1993年初めに1万6994円まで下がった。右肩上がりの経済成長がストップし、一転して不況に陥ったのである。将来の見通しの暗さから、結婚して子作りをためらう若者も増加に転じた。出生率は、戦後始めて1,5を割った。

 日本企業もバブル崩壊後、体質が大きく変わった。これまで積極的に投資をして、雇用を増やしてきた。一転して守りの意識が強くなり、労働者の賃金を抑制し、利益分を蓄えるようになった。経済成長が止まる中、日本の財政も悪化し、少子高齢化による社会保障費用の出費が嵩んだ。振り返ると、91年から93年までの3年間税収のみで歳出を賄ってきた。景気悪化による税収不足の穴埋めのため、94年から国債の発行を再開した。

 写真 掲載元 財務省のページより https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm
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 労働者の賃金は1993年から2022年までほぼ横ばい、社会保障費の負担増により、手取り収入は逆に減っている。振り返ると、93年は日本経済のターニングポイントだった。当時就職難に陥り、若者たちの暮らしが不安定になった。93年から始まる就職氷河期第一世代の中には、一度も就職せずに、2023年に50代を迎えた人も少なくない。十分な資産がなく、老後の年金受取額が不足し、将来不安を抱える。93年の未曾有の不景気を放置したことにより、後々政府が付けを払う。

 坂井泉水は、バブル崩壊と共に、世に送り出され、青春を謳歌する若者をテーマに作品を発表し続けた。

 今回バブル崩壊に直面した1993年を生きる若者目線から、坂井泉水ゆかりの地への旅の模様を描く。

  <坂井泉水ゆかりの地、丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2023年6回目、7回目>

 舞台
厚木市
・飯山お花畑 ポピーが咲く 4月29日(土)5月4日(木・祝)
・上古沢つつじ園 4月29日
・古民家旧岸邸  5月4日
伊勢原市
・大山阿夫利神社登山 
秦野市
・弘法山公園の最高峰権現山展望台で夜景撮影
足柄上郡松田町
・西平畑公園
足柄上郡開成町
・瀬戸屋敷 端午の節句飾りつけ

      第1章 

 最初の舞台は5月4日(木・祝)の朝いちに訪問した伊勢原市大山である。1月29日(日)以来3ヶ月ぶりである。伊勢原駅から路線バスで終点大山まで乗り、ケーブルカーを使わずに、女坂経由で登った。人ごみを避け、森の中の沢沿いの山道にて、清らかな水音と共に、キビタキの澄んだ鳴き声が耳に届く。生い茂った葉っぱにより、枝先に止まっていも、すぐに消えてしまう。音域が高いキビタキの声とは対照的に、センダイムシクイの低くて、間延びするような声も響く。

 初夏の大山は、黄緑の葉っぱが、太陽光を照りかえす。登山中も、日差しが遮られる分、幾分涼しく感じられる。ZARDの「揺れる想い」に描かれる若い男女は、初夏のさわやかな空気を体中で感じながら、共に語り合っていた。

冒頭の歌詞:「揺れる想い、体中感じて、君と歩き続けたい in our dream」

若い男女は、互いに手を取り合い、人工林の中の整備された登山道を登っていく。斜度がきつく、心拍数が上がる中、互いに声を掛け合うことにより、一歩前に進める。バリアフリー化により、所々設置された手すりにより、いくらか救われた。

 続くAメロの歌詞:「夏がしのび足で、近づくよ、きらめく砂浜、潤して」

 花々が芽を出す春を満喫していると、いつのまにか夏が近づいてくる。きめ細かい砂のビーチは、太陽光を反射し、まぶしさを感じる。水を吸収する砂のように、登山中の二人も、互いの言葉が、心に染み通っていた。疲れを感じることなく、目的地へ向っていく。

続く歌詞は、女性目線で語っている。

「こだわってた、周りを全て捨てて、今あなたに決めてたの」

 女性の方は、登山中引っ張ってくれる男性へ全てを預けていた。

 途中ケーブルカーの駅が設置されている大山寺で参拝をする。急階段が続く参道脇は、秋になると紅葉が真っ赤に染まる。夜間にライトアップされると、漆黒の中赤みが際立つ。5月の新緑の季節、紅葉は芽吹いたばかりで、太陽の光を通透しやすい黄緑色だった。瑞々しい葉っぱは、新たに人生を歩もうとする二人を明るく照らし出していた。

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 続く歌詞では、男性目線で語っている。「こんな自分に合う人はもういないと、半分諦めてた」

 恋は時に失敗することもある。バブル崩壊後、先行き不透明感から、消極的になりやすい。不安げな心を抱きながらも、社会活動するうちに、異性と出会い、心を通わせていく。交流をするうちに、家族を持つことに憧れを抱くようになる。

 サビの歌詞へ。

 「揺れる想い、体じゅう感じて、このままずっとそばにいたい」
 
 二人は、互いに思いを共有していた。目的地ケーブルの阿夫利神社下社へ向けて、さらに歩みを進めた。

 道幅は一気に狭くなるとはいえ、手すりがついていることにより、転落の危険は最小限に抑えられる。それでもうっかり足を滑らせると、事故に繋がりかねない。互いに支えあい、息せき切りながらも、登りつづけた。

 阿不利神社下社からは、麓の伊勢原市、その南の平塚市、西隣の中郡大磯町、東隣の茅ヶ崎市、さらに東の江ノ島を含む藤沢の町並みが広がる。青空の下、太陽の光により、真っ青な海と、雲が溶け合っていた。

 麓から登ってきた二人の心境を、続くサビの歌詞で表している。

 歌詞:「青く澄んだあの空のような、君と歩き続けたい in your dream」

 険しい人工林の中を登ってきた二人は、下社で参拝して、下山をする。物語の行方は、第2章へ続く。

私自身、登りは、物語の通り、大山寺を経由するより緩やかな女坂を辿った。帰りは、大山寺を通り越し、より険しい男坂を下った。斜度がきつい分、階段を踏み外すと、転落の危険が増す。登りの客と挨拶を交わしながら、降りきった。

 写真=麓に咲いていた大手鞠
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 麓の大山ケーブル駅とバス停を繋ぐこま参道では、真っ白い花をつけた大手鞠が咲き誇っていた。物語の若い男女の、門出を祝うかのように、ふくよかで、気品があり、太陽光を照り返す。茶色一色の木造の商店街に、彩を添えていた。

第3章 厚木市へ

 伊勢原市大山の阿不利神社の登山後、東隣の厚木市へと移動した。市内の上荻野町旧岸邸は、江戸時代から残る古民家、学芸員の資格を持つ1人の年配の係員が、案内してくれた。5月7日までの日程で、端午の節句にちなんだ、鎧兜や五月人形、こいのぼりが展示されていた。

 展示品 CREATORS https://creators.yahoo.co.jp/nikonikokaosan/0100226908

 五月人形は、江戸時代から伝わる由緒ある家系において、代々にわたって受け継がれてきた。1898年に制定された明治憲法の下での家制度において、戸主を務める男性の後を、原則長男の家系が引き継ぐ。当時は、湿気がこもらず、陽があたりにくい納屋などに保管していた。1947年に制定された日本国憲法では、家制度がなくなり、長男の家系が後を継ぐ決まりもなくなった。戦後は、結婚すると、親元から離れて独立する場合が多くなった。出生率の低下により、年々家族規模も小さくなっている。高齢で亡くなった親の家が、そのまま空き家になることもある。親の遺産である五月人形を、手狭な家で暮らす子供達が、保管に困り、寄贈するようになった。現に私が見学していた際、五月人形を寄贈した一組の家族が、他の家族と思い出について話していた。江戸時代からの伝統が、平成から令和になった今も残っていた。

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 厚木市の2番目の舞台は、飯山町の花園である。バス停飯山観音前のすぐ脇に位置し、休耕田に種付けされたポピーの花が咲いていた。曇り空だった4月29日とは一転して、5月4日は青空の下で、朱色のポピーが一段と映えていた。

 伊勢原市の大山登山を終えて、厚木市の花園へと移動してきた二人、時に腰をかがめながら、ポピーを鑑賞する。

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 揺れる想いのBメロの歌詞にも、二人の素直な心を表している。

 Bメロの冒頭の歌詞:「好きと合図を送る 瞳の奥 のぞいてみる振りして、キスをした。」

 人間、誰しも自分の気持ちを全てさらけだすことはできない。ポピーの花を通して、二人は見つめあううちに、体を寄せ合った。

 続く歌詞:「全てを見せるのが怖いから、やさしさから逃げてたの」

 Aメロと同じく、女性目線で物事を語っている。男性は、時に意地を張って、ウソをつく、または相手から見て意地悪をしていると、誤解を招いてしまうこともある。大山登山でたくましい姿を見せた男性、満開のポピー畑で、彼女の心を掴み取った。

 続く歌詞:「運命の出逢い、確かね こんなに 自分が変わっていくなんて」

 恋をすることにより、人は成長するといわれている。少しでもよく見せようと、ファッションセンスを磨く、または運動してスリムになる、料理に励むなど、目標を定めやすい。女性では、恋をすることにより、ホルモンの一つ、エストロゲンの分泌が高まるという。お肌をツヤツヤにして、うるうるの瞳を作り、丸みのある体を作る。

 医学的に証明されているとはいえ、顔の表情自体、その人の生き方によって変わる。

 Bメロのさびの歌詞:「揺れる想い体じゅう感じて このままずっとそばにいたい」
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 お昼時、人がまばらで、木造の民家や寺院の合間に位置する花園で、誰にも邪魔されず、二人だけの時間を過ごしていた。

続く歌詞:「いくつ淋しい季節が来ても ときめき抱きしめていたい in my dream」

 物語の結末、Cメロのサビは、最終章へ。

第4章 足柄上郡松田町と開成町

 5月4日、伊勢原市大山登山、厚木市の古民家訪問、ポピー鑑賞を経て、午後1時代、足柄上郡松田町へと向った。小田急線の新松田駅で降りて、北側のJR東海が管轄する御殿場線の松田駅を迂回し、標高180mの西平畑公園へと向った。道中に、家の軒下に飛び込む、水色のイソヒヨドリのオスがいた。虫を加えていた様子から、子育て中の身であることは確かである。東隣の秦野市でも、イソヒヨドリは定着していた。名前の通り海辺の磯から、川を遡り、年々内陸へと分布を広げている。松田町は、相模湾へと注ぐ酒匂川の下流域に当たる。イソヒヨドリは、川と隣接する町で、繁殖活動を営んでいた。

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 傾斜地に聳え立つ松田山西平畑公園のハーブ館の敷地では、2羽のイソヒヨドリのオスが、東屋と木の枝に止まっていた。庭の一角には、セージの花が風を受けて、なびいている。東屋にとまった一羽は、小さな虫を嘴にくわえている。イソヒヨドリの主食は昆虫、周囲には草が程よく生えることにより、小さな虫が隠れやすい。イソヒヨドリは、狙いを定めて、草地に飛び込み、足で捕まえる。
春の花と共にイソヒヨドリを観察した二人、ハーブ館から公園の広場にでて、人が添えた箒を手にするお地蔵様に一礼した。丁度、風によって河津桜の葉がこすれあった。おじぞさんの頬には、一枚の葉っぱが張り付いていた。
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二人は、眼下に広がる足柄平野を目に焼きつけ、次の目的地に向う。早春を告げる河津桜の名所としても知られる公園の奥まったところに、コキアの里という無料で開放された施設がある。4月から5月は、ネモフィラが見頃を迎えていた。

 2021年から3年連続、私は施設内を訪れているものの、やや様子が変わっていた。所々干し草のようにこんもりと盛り上がった箇所がある。昨2022年から、園内の西側にはひまわりが植えられてある。



 庭を管理する係員によると、天気の良い午前中にくるほど、富士山がくっきり見えるという。5月5日、日中気温が夏日となる25度に迫る中、水分の蒸発により、やや霞がちになる。ネモフィラの数は、2021年の8000株から2022年の6000株、2023年は4000株まで半減したとはいえ、対照的にヒマワリの生育状況は良好である。

 詳細 カタスミ日記 2023年4月8日付け https://katasumidiary.com/kokianosatonemofiramigorojikinishihirahatakouenkokianosatonemofiramigorojikinishihirahatakouenkokianosato20220414matsud/

 2023年から、園内の中心部に、より色鮮やかなデルフィニウムが添えられていた。ネモフィラの本数は少なくなったとはいえ、種類が豊富になった分、鮮やかさを増す。厚木市のポピーの丘で愛を誓った二人も、記念撮影した。

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 森の中の道を戻り、自然館前のふるさと鉄道の踏切を跨ぎ、葉桜になった河津桜並木から、車体を撮影した。運行列車は、SLとロマンスカーの二種類になる。時刻は既に午後3時50分、午後3時30分発の最終便が、駅へと到着した。窓ガラスがなく、開放的な列車は、常に安全面を考え、誘導係がついていた。鉄橋を越えて、山の中へと入り、2度のスイッチバックを経て、出発地の駅に戻っていく。全長は1,2キロ、大人から子供まで、昭和時代主流だったSLやロマンスカーに思いを馳せていた。

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 標高180mの公園から、足柄平野に位置する御殿場線松田駅まで下り、起伏のない道を歩き、開成町の瀬戸屋敷へと向う。酒匂川にかかる新十文字橋を渡れば、開成町である。

都市部の住宅地と一変して、昭和時代から残るような木造の母屋が軒を連ねていた。路地裏では、花壇が置かれている。北西へ向うと、開けた田畑へと出た。田植えの季節の到来により、畝作りが始まっていた。北東側の山の1角に、真っ白いハーブ館の建物が、ひときわ目を引く。開けた水田には、6月にアジサイの花が咲き出す。開成町では、コロナ禍の2020年と2021年を除き、毎年1週間の日程でアジサイ祭を開催してきた。シンボルとなるのはアジサイちゃん、子供たちからも人気を集め、記念撮影にも応じてくれるという。開けた田んぼのあぜ道に直接咲くアジサイの背景には、丹沢の稜線が脈打つように連なる。梅雨時の風物詩としても定着していた。
水を張った田んぼには、水生昆虫を狙ったコサギやダイサギが降り立った。濁った水の名から注意深く見つめ、足で泥をかき混ぜて、中に隠れる水生昆虫を引っ張り出していた。遠くから「ケーンケーン」とキジの鳴き声も聞こえる。オスは求愛期に、草地でより存在感を放つように、赤い肉冠が、ハート型に膨れ上がる。幌打ちと呼ばれる羽をこすり合わせて、鳴きながら、メスに存在をアピールしていた。オスの体調は平均80cm、対照的にメスの体調は平均58cm、羽も短く、体全体灰色である。草の保護色となり、子育てを一手に引き受ける。

 

春の雛飾りで有名な瀬戸屋敷を目指し、標識に沿って、田んぼの中の道を左に曲がるところだった。急に大きなキジの声がとどろいた。すぐそばの茂みに、緑の光沢が引き立つオスが、潜んでいたのである。野生の鳥類とは一定の距離が大事、二人はそっと離れて見守った。

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 春は恋の季節、イソヒヨドリのオスもパートナーを見つけ、子育てに励んでいた。キジの方も、メスを巡ってバトルが繰り広げられる。揺れる想いに描かれた男女も、自分達の将来と重ね合わせながら、観察していた。我々ヒトは、特別な存在のように見える。原点を辿れば、自然の野山で生活をし、年頃の男女が出会い、恋をしていた。

築300年の瀬戸屋敷は、藁葺き屋根の古民家、江戸時代に作られた五月人形が、室内に展示されていた。日本古民家ならではの奥ゆかしい空間に、身を寄せることにより、ハイキングの疲れがいえる。

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春はまだまだ続く。

 最終第4章、将来を誓う二人、弘法山公園で

早春に雛鳥飾りを展示する瀬戸屋敷は、五月人形が飾っていた。ひな祭りほどの規模ではないとはいえ、住民が寄贈した鎧武者や刀など、古くは明治時代、大正や昭和時代の作品が中心である。町が管理する古民家は、伝統を今に伝えていた。

 次に紹介するのは、4月29日(土・祝)に訪れた厚木市上古沢町のつつじの丘である。昨年から始まった年に一度、敷地の一角がライトアップされる。日暮れに、紫や白のつつじに照明が上がると、一段と色味が引き立つ。

 午後6時からライトアップが始まったものの、空が明るすぎて、インパクトに欠ける。日没20分後のトワイライトタイムから、空が暗くなる時間まで撮影する。

昼間の景色
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 空が青みを帯びている時間帯、ツツジの白と紫が上手く溶け合い、淡い空気を演出する。空が暗くなると、照明の明かりが際立つ。暗闇に続くツツジの丘は、水辺に浮かべる灯篭のように、幽玄な雰囲気を醸し出す。

 18時44分          18時46分
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今年はツツジの見頃が速く、既に散っている株も多かった。首都圏でツツジのライトアップされる場所は限られる。厚木市は、今後も見頃の季節にライトアップを行い、ゴールデンウィークの観光の目玉にする。

 19時00分
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坂井泉水は、上古沢のやや南の森の里町にキャンパスがある松蔭女子短期大学に通っていた。彼女自身、緑豊かな環境に触れ、青春を謳歌する人物像を描いた。
今厚木市は、住みたい街として、人気を集めている。

 5月4日(木・祝)、開成町の瀬戸屋敷から、秦野市の弘法山公園へ向った。秦野駅側から上り方面一駅先の東海大学前駅にかけて、浅間山(標高196m)、権現山(標高243m)、弘法山(標高235m)を含め、3つの小高い山が接しあう。最高峰の権現山展望台は、一段と眺望が開けている。標高80mの秦野駅周辺とその先の標高163mの渋沢駅の背後に富士の頂が聳え立つ。昼間はハイキング客が行き交うものの、外灯がなく、夕暮れ時には人気がなくなる。陽が落ちた後は、権現山から弘法山公園へと続く平坦な馬場道を歩き、北側の綿羊の里へ降りれば、住宅街にたどり着ける。懐中電灯とヘッドライトを用意し、展望台へと向った。既に二人の年配の方が、展望台にて三脚を設置し、日暮れ時の富士山を狙って、撮影のスタンバイをしていた。

 カメラマンを他所に、物語に描かれた二人は、寄り添いながら、暮れゆく町並みを見下ろした。

 Cメロのサビの歌詞に二人の心情が現れている。

「揺れる想い体中感じて このままずっとそばにいたい」

 18時48分           18時55分
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 刻々と空色が変わっていくに従い、二人の気持ちも溶け合う。陽が落ちて、時間が立つに従い、夜空とは対照的に、町灯りが浮かび上がる。

 続く歌詞、「青く澄んだあの空のような、君と歩き続けたい、 in oure dream」
                               <終わり>

 18時59分           19時1分
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 晴天に恵まれた5月4日(木・祝)、日没後も、秦野の空は、澄んだトワイライトブルーに染まっていた。伊勢原市大山の阿不利神社下社への登山から始まり、ポピーやネモフィラの鑑賞、繁殖期のイソヒヨドリとキジなど野鳥を観察した。二人の心は自然と青く澄み渡る空に、虹がかかったかのように、期待に彩られていた。丹沢山麓に位置する秦野市に接する地域は、人々の暮らしと自然が程よく調和している。四季折々花々が咲き、鳥達が繁殖活動を行う。人ごみの中にもまれていると、豊かな自然が懐かしくなる。坂井泉水は、デビュー後もしばらく、秦野市内で暮らし、青春を謳歌する男女をモチーフに、作品を描き続けた。「揺れる想い」が誕生して30年、青春期を歩んだ男女は、無事に結ばれ、丹沢山麓に定住したのか、物語の結末については読者にゆだねられた。時は21世紀、今なお人々の心に作者、坂井泉水はしっかりと生き続けている。



 

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