俺が父方から受けた性質が、「突発的な死」への耐性であった。
「いつ、いかなる時に、想定外の事」が起きるかもしれない。
それに備えて、準備万端にしておくことは、むしろ当然だと言える。
そして、山を越えたら、ほぼ二度と元の状態にはならない、という事であった。つまり「ボンクラには、戻らない」ということであろう。
ある意味で、そういう「失敗への備え」が、指導者や男の手本であるという事については、確かに有効だろう。
そういう意味では、誇っても良い事ではあるが、問題は「母方」の「死に至る病」の方が、俺には重大なことであった。
他者を突き放しすぎる「冷徹人間」とはあるが、非常に父性的である。そして、他者に漬け込むのは「悪性の父性」であった。
その意味でいえば、私は「悪性の母性」が強すぎた。要するに「相手の俺への対応に対するケジメ」というものが、とどのつまり、なあなあになっていた。
俺は、分かっててナメた真似されるのは、我慢ならなかった。
そして、もうどうか「空回り」しないでくれ。
地面に接していない車輪の車が、走り出すか?
目の前の阿呆と俺が、何の関係がある?
俺とは何の関係もない。関わらんでええがな。
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