みずからが
ただ在るひかり
から
離れていると感じるとき
源を
ふりかえると
対象としてそれがみえる
聖霊のように
しかし
それは
ふりかえってみてるからであり
ふりかえらなければ
源は対象でなく
背後(うち側、基盤)
としてある
対象つまり意識するとは
このような誤解からうまれた
そして
対象としての聖霊すら
わすれるなら
分離した想像である主体は
意識(つまり対象)は
聖霊ではなく
自律を現実として信じる
自我を作り出す
これにより
主体は
基盤からのオートマチックな好奇心
であることを忘れて
自律的なコントロールを信じるようになる
(宇宙や日常の顕在意識上にあらわれる自我による生活)
形而上の意識(対象)
は
投影世界にはいることにより
顕在意識をもつ
それが
今ここ
なのであり
そこに
自我が動きだすのである
これらすべてが
起こることしか起こりえない
のであり
帰還のためのいやしもまた
そうである
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