mixiユーザー(id:20821792)

2023年01月08日19:42

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昨年は、私は「行動療法」の年にしていた。



「辞める恐怖症」ってのが、一体どこから来ていたというのだろうか。



通常は、「信用ができる船頭」って言うのを、ある程度自分で確認してから、その舟に乗り込むのだろう。




別に命のやり取りって事ではないが、結局、「居続ける」「離れる」ってのを、アレコレ考えるのは、ものすごい徒労なのだと思った。





その中で理解したのは、どれほど恵まれた才能や外見、魅力の片鱗があっても、少しでも畑違いな所へ放り込まれれば、まるで役に立たなくなるって事だ。




そういう事態に遭遇した際は、どのような行動をとるべきであろう、そう、即座に離れる事である。




「オドレがなんぼのもんじゃあ!!」っていうのは、よくあることで、要するに「御しやすい相手」にマウントを取ることによって、束の間の優越感に浸るっていう方法も、昔はよく使われていた。とどのつまり「利用しよう」とされたし、また同時に私という人間が「利用されやすい」ようなオーラ、そして態度を示していたからだろう。


私という人間は「目の前の状況」に合わせなければ死ぬ、という二極の思考しか、以前は存在していなかったようである。男の多くは「母親」という安全地帯があるようだった。だからこそ、「自分の見方」であり「ありのままの自分」を肯定できるのだろう。




山本を初め、森本も、他者を「防波堤」にするって点では同類であり、何一つ人を惹き付けるものなどない。




そして最近、幸せな事に、森本の紹介で知り合った「糞の一味」のことなど、仲間とも何とも思わなくなった。というか、最初から向こうも、俺のことなど仲間とも思っていない。だって、つま弾きにされた「ごみ溜め」の連中なのだから。俺が「仲間」などと考える事自体が、そもそもあり得ない事だった。




では、そこに私が「居続けよう」とした理由、それはとどのつまり「舟」が欲しかったように思えた。「母親」ではない、自分の心理的安全基地。自己肯定感が、尋常ではない「自責感情」でボロボロにされたとき、どの舟を選ぶか‥それは同じように「自分をボロボロにするような連中が乗り込む、それ相応のボロい舟」に他ならない。





離れるのも辞めるのも多いに結構、もちろん「ケジメ」つけにいって当然だった。そのゴミに関しては。




ただ、その前にやらねばならない事があった。それは、「中三の事件」の時、「自分のせいではないわ。あなたは間違ってないわ。やらなくていわ、と私は思う」と、特に女性に話すべきであったろう。今、俺は、「全てを投げ売っても、あの顧問の思い‥!」などとは思わなくなった。そう感じる前に「いや、その状況から一旦離れて、リセットしてから考えよう」と。自分を守るため、メリットをどう確保するかが、先決であった。





あと、やっぱりそれを踏まえた上で、斉藤っていうゴミには、きっちりケジメをつけにいくわ。「クズ」なんて思わなくていい。だって、クズなんて認知する前に、俺には必要ないし、むしろ可愛そうですらある。何故なら、俺に不実な真似をしたが故に、報復されて当然の人生を歩むのだから、そのゴミは。




「お前が勝手に居てただけたろ」って?おう、俺もそう思うわ、すまんすまん。不自然な事をしてたわ、だからサークルなんぞ一切関係なく、「当時z俺の信用を破って喧嘩売ったクズ」を始末しに行くわ、ゴミ処理みたいに。怒りを正当なもんと認めるのは、誠に自然である。



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