神から分離(解離)したと
信じ込んだ
形而上の自我(大我)
は
無条件の愛でしかない神
を
否認したので
罪悪感を抱いていて
その罪悪感に耐えられないので
あたかも
自分の外にあるかのような
(ほんらいは愛なのでうち側にあるのですが)
偽りの神を創作しだします。
これが
奇跡講座が説明している
形而上的なレベルの自我の
力動であり
自分の外側に作られた神は
みずからの罪悪感を
象徴しているため
宗教の原初の形而上の
罰を与える
偽の神となります。
そして
偽の神(じつは自我)
が
創造主となり
創造(好奇心)
維持
破壊(罪悪感)
を行います。
これが
偽の神による
宇宙の創造と破壊です。
ほんとうの神は無条件のナチュラルスピリット
なので
宇宙をつくっていません
このちがいを
ことさら主張して
二元論にまでにしてしまったのが
グノシース主義です。
キリスト教
は
神が
宇宙を創造したと主張し
グノシース主義は
宇宙は悪魔が創造したといいます
しかし
奇跡講座は
じつは
無条件の愛
否認
抑圧
罪悪感
投影
神
創造
維持
破壊
というふうに
一者からの
形而上的心理的力動
として
癒されればまた純粋一元
に還元される
という説です。
形而上の大我の二面性である
好奇心
と
罪悪感
が
日常生活レベルに
投影されると
特別(好奇心)の関係
と
その憎悪
となります
つまり
家族や恋人という
特定の(好奇心)
の関係は
その正体は
偽の愛
と
憎悪(拘束された)
でできており
無条件の人類愛という関係に
癒されなければ
ならない
ということです。
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