闇についての奇跡講座の見方は
自然への 助けを求めているよびかけ
とみている
ということである
苦しみ、痛み、病のすべて、障がいのすべて
が
自我の苦しみである
それは
神からの分離という投影である
そしてそれ(闇の不完全さの象徴、感情)
がなぜあるのかというと
ナチュラルスピリットである神からの
分離という夢の活動(好奇心)
にともなう
罪悪感なのである
プラス
とマイナス(罪悪感)
は
セットである
なぜならば
神からの分離という信念を現実にしてしまったからである
したがって
奇跡講座は
病の体験は
助けを求めている叫びであり
自然、在るがままの記憶(聖霊、平安)
によって癒す必要があるとみなす
つまり好奇心の人生にともなう
「病の体験そのものはまだ自我の範疇にあるもの」とみなし
助けを求めていることにたいし
ただ在るがままの平安(福音)という癒しの恩寵を与えるのである
病の体験、戦争の体験は
ナチュラルスピリットから
活動的愛(好奇心)とともにコインの裏側のように
ともなって
あらわれるものであり
病の体験や、戦争の体験や、さまざまな障がい
は
自然の延長(表現)ではなく
むしろ自然の延長(表現)「によって」癒される側である
すなわち
寝たきりの人物(病であれ障がいであれ)
介護する側もされる側も
無条件の在るがままの大切さ
を学ぶ機会である
というのが奇跡講座による見方である
これは
一般的なノンデュアリティの
なんでも愛
とは明らかにちがうところである。
病や苦しみや戦争が自然の表現であることは断じてない。
以上は、あくまで、
わたくしの感想ですのであしからず。
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