mixiユーザー(id:766386)

2022年12月24日07:38

218 view

橋を架けている願い

相対性理論は、理論上は神しかいないはずで、天国しか存在しないはずなのに、なぜか我々は人間として地上にいる、ということを、物理学の用語を用いて表現したものだ。

量子力学は我々人間が住んでいる地上についての物理学的記述である。

理論上は正しくても現実はそうではない、ということも、込みで、相対性理論はつくられていて、つまり相対性理論は、量子力学とも相容れなくなくて、量子力学も容れる容器になっている。

理論上は正しいはずで現実と矛盾していないはずなのに、なぜか矛盾していない理論が現実を正しく反映していない、ということも、相対性理論の含意として含まれている。

現実の本質は矛盾だから、現実を正しく反映する理論もまた、矛盾を内包していなければならない、ということを、相対性理論の必然的帰結として、導き出すことができる、ということだ。

相対性理論は、等しくないものが等しいという矛盾を言い表す「0=∞」という等式として数式表現できる。

光において時間の流速が0であることが時間の流速が∞であることだとする、特殊相対性理論や、ブラックホールに万有引力によって引き寄せられた物質がブラックホールの表面に達して重さが∞になることが光速度に達して重さが0の光になることだとする、一般相対性理論が、「0=∞」という数式に要約できる、ということだ。

素粒子は大きさのない点粒子であるとする標準理論によれば、「物質の密度=空間の膨らみ具合」というアインシュタイン方程式に従って、大きさがない物質粒子に重さがあることによる物質密度無限大は、素粒子が宇宙という極大の空間の膨らみであることを意味していて、我々が住んでいる膨張宇宙が超宇宙を合成する素粒子たちのうちの一つであることを意味している。

大きさ0の素粒子が大きさ∞の宇宙なのだ。

素粒子という点はすなわち、ブラックホール内外の境界線であり、ブラックホール表面であり、宇宙という立体である。

ブラックホール内外の境界線上に達した者は光速度に達して時間の遅延が極限に達して時間が止まり、境界線を越えれば光速度を超えて、時間が逆流する、ということは、ブラックホール内にとってはブラックホール外はホワイトホールでなく、ブラックホール外こそブラックホール内である、ということだ。

このように、もし相対性理論が正しければ、ブラックホール内の者もブラックホール外の者も、すべてはブラックホール内外の境界線上にやってきて、そこで止まり、常に既に不変不動の静止空間をなしていることになるはずである。

理論は正しくても現実には理論通りにはならないとする量子力学的世界像は、0付近をプラスマイナス方向に行ったり来たり揺らいでいる波動という変動として世界を描く世界像だ。

そのような世界像を受け入れて成り立っているものとして、矛盾を内包する数式で表現される相対性理論はあるのだ。

神は限りない愛だから全てのものを一つのものにする存在で、つまり∞を内包する0は、時空を超えて、全宇宙の全永遠に、遍く存在している。

全宇宙の全永遠が自分である。

自分の屁だけは臭くないということから言えるように、自分可愛さこそ愛の本質であり、神は全てを愛して自分にしている。

しかし、無限の愛は限りないだけに、愛したい自分以外の者が存在しなくて、孤独で淋しいという心を生み出すのだ。

独りぼっちで淋しかった神は、自分を見てもらうために人間という自分以外の者を創造した。

すなわち、人々にいがみ合わせて憎しみ合わせて、淋しさを紛らわした。

戦争に明け暮れていて戦々恐々としている心は淋しさを感じている暇などない、ということだ。

そして、涙を飲んで憎しみの連鎖を断ち切って、平和を実現させて愛を再現するのだろう。

愛と淋しさと憎しみがジャンケンのグーチョキパーのように三すくみの関係をなしていて、三位一体なのだ。

愛が淋しさになり、淋しさが憎しみになり、憎しみが愛になり、かくて、世界は不変不動の静止空間でなく、存在は時間なのだ。

憎しみは憎しみの連鎖を断ち切るための涙を飲む悲しみを生み出し、慈悲を生み出し、そして愛を生み出す、ということから言えば、愛と淋しさと憎しみと悲しみと慈悲という、三位一体ならぬ五位一体として、キリスト教を理解することもできる。

いずれにせよ、くるくる回って、ループしているままが、ループしているままで、アングル変えて見ればスパイラルをなして上昇運動している。

アカシックレコードは過去を記憶していて、忘れているようで忘れていなくて、潜在意識に眠っている記憶の上に顕在意識は積み上げられていく。

我々は、無限に進歩向上していく存在なのだ。

同じことの繰り返しでもその意味や深さは違うから、どこまでも深く、底無しの無限の可能性を秘めている存在が神である、ということを、ベーメやシェリングの「神は無底である」という言葉は言い表しているのである。
7 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する