リラックスの正体と、ありがちな誤解について
今朝湧いたことを書いてみます。
実相(ナチュラルスピリット)の記憶である
自然の記憶つまり平安
それは
静止であり深いくつろぎです。
それが
延長している状態(それに癒されている状態)
が
ここにもある癒されてる状態です。
このような平安は
依然としてのこされているマインドの枠組みにより
制限されます。
つまり個々の枠組みはのこされているため
個々の担当する平安の量(記憶)により、
それぞれのマインド以下を癒すことになります。
(癒されると平安の量が増えた、かのように、感じるのはマインド以下が平安に変化した、癒されるからです。しかし、担当してる平安の量はきまっているために、じつは、エネルギー量は変わっていないのです。
つまり、ある限られた砂場があるとします。
砂場でつくられたものが、癒されてくずれていっても、砂場の量は変わらないのといっしょです。)
わかりやすくいうと、
6歳のときのエネルギー量
30歳の時のエネルギー量
(ここにおけるエネルギー量とは、平安のことですが)
変わりません^_^
5倍になったりはしません。
いくら映画をみたとしても変わらないのです。
科学技術がいくら進歩しても、快適になったとしても
昔のときと同じく
平安のエネルギー量は変わらないのです。
つまり
エネルギー量が変わっていないということは
幸せの量は変わることがないということです。
(幸せとは、いわゆる幸せのことではなく、
自然の記憶である
個々の担当している平安エネルギー量のことです)
以上、リラックスの正体と、誤解されやすい
ことについて書かせていただきました。
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