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2022年11月20日06:46

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2022年スピリチュアルまとめ日記

以前、わたくしが母親と最後に海外旅行をしたカナダ生まれのノンデュアリティ本を
今朝も読んでいます。
あと三分の一くらいで読みおわります。

読んでいて、今朝、湧いたことを手短かに書きます。

以前わたくしは悟りについて、
いつもある精神統一、という表現で書かせていただきましたが、
これは 地上波にて「ちはやふる 結び」という映画が夜に放送されるまえの夕方ごろに、恩寵による手放しがおこり。
精神統一という観念は、心を集中させるというう意味で通常つかわれるため、適切な観念や表現方法ではないので手放しました。

スピリチュアルにおいて、ほんらい手放しというのは、空き缶をポイ捨てするような意味ではなく
偽りである集中状態を手放すという意味であります。
ですから、偽りの集中状態を手放し

存在、自然、静か、リラックスに統合されることになります。

悟りは個人が悟るわけではないですし、マインドの範疇のなかにある言葉により
実在であるそのものを表現することはできませんが、
指し示すために表現するなら、すでにある統合であり、
夢の行き帰り(好奇心や癒し)というのは
宿命として存在するナチュラルスピリット(神、キリスト)の本能の一部である遊戯
からの
遊びごころ(もし個が可能なら)
により起きてくることです。

それは個人によるコントロールで
なせることではなく

ひとつの命から起きていることです。

コントロールというのはありません。
それは二元を意味していますので。
実在も夢もコントロールはありません。
夢は起きてくることなのです癒しもまた。
コントロールではなく、
オートマチックです。

それはゲイリーレナードさんの神の使者という本によれば、
それは
ナチュラルスピリット(自然)
自然の記憶
わたし
意識
自我(自律的コントロールという信念)
身体(脳)と外部世界
というながれで起きるそうです。

そして、ほんとうはすべて勝手に起きることです。自我催眠やその後の宇宙の誤創造でさえも。
そして癒しも起きることになります。
いま読んでる本ではそれは存在の引力と表現されています。それは存在への愛と表現できるもので、
存在とは、条件つきの愛ではなく、
つまりマインドや身体を前提としている愛や平和ではなくて、
無条件の非二元の存在のことであります。
それがナチュラルスピリットなのです。
夢は空想であり、空想された自分
(幻、喪失感、架空)を満たそうとする、不完全な夢が繰り広げられます。ほんらい無意味な活動です。
つまり、その遊戯をふくめて、
ひとことであえて表現するのなら、
すでにある統合からのオートマチックだといえるのです。



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