悟りは平安なので
それがわからないと
意識できなければ
悟っていない
と
かんちがいしてしまいがちですなのです
意識できなければ悟っていないんだ
というかんちがいを生む本が多いといえます
そういう本は
その証拠に
知るものと知られるものは
は同じである
分離していない
という典型的な
意識の本になってしまっております
実在は
あるがままの平安であって
もしわたしがいたら
のあとに
わたしが
意識する
状態ではありません
もし意識が悟りになってしまうなら
あるがままの神は
変質したことになります
それはありえないです
、
意識は
遊び(わたし)
のあとの対象です
しかし
そういう意識が
悟りであると
おもいこんでしまうのです
わたしという探究エネルギーによる罠ですね
^_^
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