なぜ、母が教師を退職してから、私の中で尋常ならざる「怒り」が現れたのか。
それは、私によって、母が教師であるがゆえにもたらされた「言動」や「行動」というものに、説明がつかないからであった。
それは、今の私にとっては、言うまでもなく「有り得ない」と呼べるような代物であったのだ
なぜ私は大学一年の時、軽音に入ったのか?それは何か挑戦したく、そしてバンドメンバーとして活躍したかったからである。
ではあるのだが、どうしても私はセクションの同期とは上手くいかないようである。今思い返せば、ブサイク級が勢ぞろいの癖に、何をでかい口をきいてやがるのか。
基本的な人間関係の話であるが、「ややこしいやつとは、つきあうな」である。
そんなこんなで、大学二年生になる時、jAZZ研なる、根暗の集まりに関わることになった。これは、私の大学時代の中では、最大級の汚点である。
二回の春に、通称アツカンという軽音時代の人に、このように尋ねた。
「え、ジャズがしたかったん?」と。
当然なんだけど、僕はこれに対して、首を縦に振ることなどできなかったのである。
僕は誰に惹かれて、何に惹かれて、ここに入ったのか。
それを答えることはできなかった。
サークルの新入生歓迎会の際に、僕はジャズ研と思われる二人と、競技ダンス部の演目を見ることになった。
ひとりは、げっちと呼ばれる女の子である。
「めっちゃかっこいい。私もこんな風にしてみたい」と、至極真っ当なことを言っていた。
そして、もう一人、何一つ特徴のない、それかやけにきょどっている(所謂キョロ充)は、このように言った。
「ああ。高校の時、い、い、陰キャやったヤツが、だ、大学デビューしてるわ。」と。
?陰キャ?
何言ってんだ、こいつ。
僕はこの時、違和感に気づいていながらも、なぜか気持ちに蓋をしていた。
確か、一回の時は、必修クラスどうのこうので悩んでいた気がしていた。
そして二回生、必修は別に不満がなかったんだけど、
問題は、このクズの集まりだった。
そしてこの時、私は、この陰キャ発言野郎が、8年の歳月を経たあと、文字通り「ぶち殺しなきゃ、気が済まない」となるとは、知る由もなかった。
よく考えて欲しい。ジャズ研などに集まっている人種が、なぜそんなところに入っているのか。
ここの部長を紹介した、森本っていうのが、一体どのような人種であったのか。
もちろん、よく思い直すべきだが、このとき私は、それを考えう余裕がほぼなかった。
そして、山本タカトシ、
何一つとして、物語を持たないこいつは、今年縁切ったので、特に何も語ることがない。ただの空気であり、誰も口にしない。存在自体も。
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