朝起きると
映画館で映像をみるように
違った映像があらわれることになる
それゆえ
なにかをしなければならない
と錯覚する
しかし
意識自体は
ほぼ変わっていないので
とくになにかをすることはないのだ
あえていえば
顕在意識になったので
それすら手放しておくことだけだ
そのまんま
私は誰かと確認しなくていいのだ
そのまんまで無限からのニュートラル状態がある
マーヤー(現れ)はただのトリックでしかない
そこでだまされてなにかをする必要はないのだ
^_^
メソッドは
私を維持する
あと、
流行の非二元は
意識のなかの観念を手放しましょう
だけしか
のべていないスピーカーが多い
意識自体も手放しておきましょう
が
ほんとうの無努力であり
(でないと夜に寝れんよ)
わたしと意識(顕在意識)は無効となり
もちろん顕在意識のなか
の
自我(自律)や観念も無効となる
でもこう書いたすべては
ただの説明で
じつは恩寵により
自我以前の
意識(小悟 プレゼンス)まで回復した時点で
自我(コントロール)は信じられなくなるので
ほんとうはコントロールできないオートマチック
だとわかってくる)
(だから説明を書いたからといって無駄なのだが)
意識はコントロールできないし
意識以前も、意識以後の自我へもである
恩寵からの平安
により
わたしの無効化、顕在意識の無効化、自我(自律の信念)の無効化
等々となるだけである
それはすべてオートマチックなのである
恩寵がなければ
意識の上で自我を信じていて
コントロールできるとおもうから
正確にいうと意識の上の自我を信じてる段階だということになる
そこでは
世間の成功メソッドや
スピリチュアルメソッドを
自我(コントロール)として信じている
それすらオートマチックにおきるときは
おきているのだろう
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