インド聖典
もうすぐ読みおわります
(最終章のはじめらへんをよんでいます)
本日の読書と湧いた言葉
無執着(ノーマインド)によってなされた行為は行為とみなされない
つまり
夢にすぎず無効化されるということ
無心の境地で体験されている
原因のいらない平和は
天界でさえ体験することができない
天界は
好奇心であるマインドがつくった
理想世界にすぎず
同じく
マインドがつくった罪悪感の世界が
地上や地獄である
好奇心であるマインドは
無条件の平安を否定した状態になっているため
想像の希望世界(天界)
と
想像の罪悪感の地上や地獄を
みずから作りだしただけである
それはみずからの好奇的と罪悪感でしかない
架空の世界である
そうではなく
無心の境地(自然の記憶、トゥーリヤ、癒された世界)をいきていくと
やがてトゥーリヤ以前にある存在そのもの
トゥーリヤティータ(実相 心と世界の完全消滅)となる
マインドとは
実相からあらわれた
たんなる好奇心(欲望)のことである
好奇心が対象(投影)をつくり
その対象物がはかない快楽を与えるかのようにみえる
その快楽の正体は
実相にあらわれた
はかない想像である好奇心そのもの
にすぎない
そしてつきまとう
罪悪感とは
在るがままの絶対平和を否定している状態ゆえである
それは実相からオートマチックに夢のごとくあらわれ
消え去る運命である
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