mixiユーザー(id:68021579)

2022年08月15日09:14

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インドの最高聖典

本日の朝読書の感想

インド聖典では、解脱の章にはいりました
ラーマが覚醒しだしました
^_^

心をハートに休ませなさい
という文がありました

自然なる愛
ハート(記憶)

意識
自我

自我から
ストレートに
ハートに癒されることが

癒しなのでしょう

そのとき
私という言葉はハートの代名詞として
認識されることになります

それまでは
私を含む世界すべては
疑い(空想)でした

真我なる愛(私は愛)
という表現にきりかわると

心地よい穏やかな眠りのような平安に
満たされることとなります

日中の活動でも
無明であるならば
感覚は自己にとって敵となってしまいます
しかし
真我であれば感覚器官を友(そのエネルギーのあらわれ)とみなすだけです

真我(私は愛、私は在るという気づき)をしらないことが
不幸(錯覚)をひきおこすのです

嫉妬心(好奇心)、批判(罪悪感)
あるいは
若さの楽しみ(好奇心)、老いの苦しみ(罪悪感)

ひとつの自我(好奇心と罪悪感)に
その正体をもっています

そして
その私とは自律しておらず愛からきた

とわかれば

変容するのでしょう

精神的貧困は、幻想としての世界であくなき
重労働をうみだします
それは活力という芳香を放ちながらもじつは虚しい行為です

鉱物など動かないものも
無知であるIAM
の投影として
夢のなかにあります
それは深い眠りに似ていますが
悟りではないそうです

深い眠り(IAM)という闇が

自然なる愛からの
記憶であるハート

に癒されるならば
無知は癒されていきます

そして最終
には
そのようなひかり(自然なる愛の記憶という状態、トゥーリヤ)さえ

真実である自然なる愛そのもの
にきえさるのです。(トゥーリヤーティータ)




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