自我という空想は
新しいもの
(あらためて作られた
努力というエネルギー)だから
自我が求めるものは
新しいものである
しかし
世に新しきものは
なにもなし
である
もっと、もっと
も
何の意味もない
空想、つまり、欲(ワクワク)は
無意味となる
あるがままからのエネルギーだけがある
だから
すべては
優しく包みこまれ、あるがままへまた癒されるだけ
(幻想を拒否したりするのではなく、ただ癒される
主体、意識、自我、多様性は
基盤から分離「していない」ため
つつみこまれ癒される 分離しているものはなにもない)
すべてはそれ(平安)
となる
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