フランスオリンピック(ノンデュアリティのための)メッセージ
ノンデュアリティの説明では
海と波のたとえを用いることがある
しかし
正確には
海も波も自我の力動である
深海は休息している(熟睡していると表現される場合もある)エゴである
深海の下にある、大地が聖霊(ナチュラルの記憶すなわち平安)なのである
これが奇跡のコースの癒しの視座による説明なのである
はなしをもどそう
まずノンデュアリティの説明では
波は波自身で動いているのでなく
海として動いている
これはじつは
動かしている海もエゴであるという表明である
なぜなら海も波も同質なのだからである
これは
ノンデュアリティスピーカーによくある
誤った説明なのだ
(覚醒していないという意味ではない。説明方法が誤っていると述べているだけである。)
なぜなら
歪曲されたもの(エゴの力動)
と
歪曲されていないものは
本質は同じだが、性質が異なる(歪曲されている空想)だからである
海と波は同質であるゆえに
動かしている海自体がエゴである
かれらの説明では
「すべては自然発生です」
という
たしかに覚醒スピーカーにとってはこの表現でもいいのだが
以下の理解が含まれていることに
聞いている側にはわかりにくい
すべて自然発生です
は
正確には
自然から歪曲(空想、不自然)が自動発生し、
また、解除(いやし)が起きる
という意味である
自然と自動はちがう
同じと考えるのがレベルの混同である
自動というのは活動するということであり、
夢の活動とは歪曲(空想)である
この自然と自動のちがいがわからないと
非私(平安)と私(好奇心)のちがいがわかっていないから
癒し(真の赦し)が起きない
というのが
ノンデュアリティ難民の苦しみとなっているのである
その結果としてまさしくあらわれているのが
ノンデュアリティ難民であるウクライナ難民である
それは次のレベルの混同からおきる
戦争も自然の表現である
戦争も愛の表現である
となってしまうのである
この理解になってしまうと
目覚めの帰還がおくれるということが
起こるわけである
戦争は愛の表現だと
夢のなかで誤って居直ることが起こるためである
これがエゴの力動である
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