認識は努力なく すでに 物と心に分かれていない
(心をすて物自体
とか
物ではなく心に
とか
は私つまり努力の妄想)
完全無努力(抽象)においては
真の知覚(認識)すらも実在しない
補足
神から離れて存在するものはなにもない。つまり、いやし。
神から離れている想像は
想像(私、投影)でしかなかったのだ 笑
実在に気づけないと思い込んでいるのは、すでに
すべてが実在のエネルギーからできているから、水のなかであらためて水に気づかなくてはならないと
思い込んでいるから
補足
専念する必要はない。最初の専念(想念)が
「神からの分離(私)」である
実在はハートの空間に宿る(ハートマーク)
は方便(自我しか信じれない人々のための。限定された
ハートマークはじつは自我でしかなく。好奇心という偽りの愛とそれについての憎悪)
「特定」(限定)されることがないのが無条件のあるがまま
補足
現在
何かしなければならない
や
想念を手放さなくてはならない
は
現在(無条件)
ではなく
想像の立場
にいるということ
補足
すべては
完全無努力からの空想の
オートマチックであり
起こることしか起こりえない
神ですら のがれられない
夢の運命(空想といやし)である
コントロールする者はいない(一者しかいない)
起こることしか起きていない
そして
恩寵(神秘 めぐみといわれるもの)は ただ在る
ということである
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