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2022年05月30日21:43

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旅行記(493:九州旅行<13終>-戦争遺跡-)

岬の南側を戻ると、最初の目的地である大御神社に戻ってきた。
お昼時となったので、先程通り過ぎた道の駅「みなとオアシスほそしま」へ移動した。
1時間半前はガラガラ状態だったのだが、お昼時という事もあり既に大混雑。
名物の生牡蠣を楽しみにしていたのだが、順番待ちまでして食べるまで時間に余裕がない。泣く泣く諦めた。
 
この道中で気になっていた場所が一箇所あった。
一回目だけでなく、二回目もやはり気になる、「有栖川征討総督宮殿下御本営跡」という建物である。
名前は仰々しいが、単なる旅籠屋の跡といった感じの建物である。(それでも県指定文化財である)
元々裏道にある唯一信号がある交差点(小学校があるため)にあった建物に何か惹かれるものがあった。
 
この交差点を曲がり、坂を上ると官軍墓地がある。
西南戦争で戦死した官軍兵士が葬られている。また第二次世界大戦の戦没者も同じように祀られている。
昨日の飫肥では西南戦争に関わる小村寿太郎の師である小倉処平が亡くなっているのを知った。
亡くなった日を見ると明治10年8月15日、8月18日が多い。
さらに地元九州よりも、関東・中部・東北地方の出身者が多いのにも驚かされた。
延岡での戦いの後、細島港から病院へ運ばれて亡くなった人が多いのだろうと推測した。
この場所は高台にあり、細島港が一望できる場所である。
観光地の要素は全くなく、私が居た10分程度の時間でも誰一人観光客が来ることはなかった。
 
この後、三度目となる大御神社へ移動し、その後に市街地南側へ移動した。
日向市には第二次世界大戦中には塩見川に沿って特攻隊(富高海軍航空隊)の滑走路があったとの事。
この場所は今では工場地帯となっているが、一箇所だけ跡地として残されているらしい。
しかし、その場所に着いたのだが、看板が全く見当たらない。
それらしき場所である協和病院の敷地の中に入ってみた。
病院の入口ロータリーへ行く直前の木の影に基地跡の碑、さらに裏手には爆弾投下跡も残されていた。
工場敷地から続く滑走路の先は日向灘。
ここから飛び立った特攻隊の機体数を考えると、あまりの生々しさに言葉が出なくなった。
なお、近くの塩見川を渡る橋の近くには、富高海軍航空隊に関する物が展示されている。
 
近くには掩体壕も残っていたらしいのだが、2001年には取り壊してしまったらしい。
https://mainichi.jp/articles/20191207/k00/00m/040/136000c
建物の劣化ではなく、道路拡幅・公共用地の移転という理由がやるせない。
戦争遺跡の保存に乗り気がない自治体の意識が強くなった。
その後は、日向市役所近くに置いてあるSLを見て、出発地点である日向市駅へ戻ってきた。
 
自転車を返却し、日向市駅から宮崎空港へ特急に乗り一気に移動した。
宮崎空港では特典航空券の効力で、予定していた便よりも一便早めて(19:00->16:40)帰る事にした。
しかし、この日はGW初日かつ北西風が強い日だったこともあり、ダイヤが大幅に乱れていた。
結局30分遅れでの出発となってしまった。
 
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写真: 官軍墓地, 特攻隊滑走路跡・爆弾跡, 掩体壕(跡)
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