ノンデュアリティの説明はなぜ間違っているかについての解説をします
ピュアノンデュアリティ(純粋な非二元)では
起きているようでほんとうは起きていないの意味を
私が実在しないのでほかのすべてもなにも起きていない
となります
実在している私に起こっているのではなく
源泉から私もふくめて湧いているだけだから、「ほんとはなにもいっさい起こっていない」
ということになります
つまり
遊びも
いやしも
オートマチックです
これに対して
誤ったノンデュアリティは
次のような説明をします
なぜ
誤った説明をしてしまうのかというと
奇跡講座やゲイリーレナードさんの
「神の使者」
の形而上学をしらないため
ホログラフィックに理解できていないためです
私 というものが
形而上レベルと生活レベルで
反映しているということです
それではノンデュアリティは
このように形而上学をしらないがために
どのように混乱して複雑に説明することになるのでしょうか
次のとおりです
まずノンデュアリティは
生活世界について起きていること
から離れて(とは別に)私というものは
いなかった
と説明します
それだけです
したがって
私がいなくなろうが
変化しつづけます
たったひとつの無(私)
からの表現
があり続けています
これがノンデュアリティの間違った説明です
無の表現とかライフの表現とか愛の表現とかいろいろ言い換えるときもあります
つまり終わらないパッション(夢の活動)といえます
この説明が純粋でない非二元です
ログインしてコメントを確認・投稿する