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2022年03月13日15:12

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【資料保存】3月6日(日)読売新聞朝刊『ウクライナ侵攻 楽観が招いた惨禍 再び…細谷雄一 慶応大学教授[地球を読む]』

3月6日(日)読売新聞朝刊『ウクライナ侵攻 楽観が招いた惨禍 再び…細谷雄一 慶応大学教授[地球を読む]』
 
 
 冷戦の終結から30年が経過した。この間、われわれはさまざまな変化を目にしてきたが、現在進行しつつあるウクライナでの戦争は特別である。冷戦後の時代の終わりと、新しい時代の到来を告げるものとなるであろう。
 
 その「新しい時代」がどのようなものになるか。それは戦争の終わり方とその後の外交交渉によって規定されよう。まずは、目の前で起きている 凄惨せいさん な 殺戮さつりく を止めねばならない。
 
 なぜこのようなことが起きたのか。さまざまな説明が可能だろう。ただ、冷戦後、われわれが軍事力の意義を適切に理解せず、他国への信頼や善意にあまりに依存し、国際協調や相互依存の存続が自明であると見なしてきたこともまた、大きな問題であった。
 
 というのも、ロシアのプーチン大統領がすでに戦争計画を事前に十分に準備していたにもかかわらず、まさかそのような非合理的な決定は行わない、戦争は起こらない、あるいは回避可能だと、当然のことのように考えていたからだ。
 
 こうしたことを考える上で、1930年代における欧州の経験は、多くの示唆を与えてくれる。この時代の人々も、ドイツやイタリア、そして日本がまさか戦争という手段を選択することはないと、楽観視していたからだ。
 
 自国の国益をあまりに狭く定義して、国際社会の動向を適切に理解せず、そこでの責任を担う意欲が欠落していた。その 間隙を突いたのがドイツのヒトラーだった。そしてその時、英国の世論は、ドイツの動きから距離を置き、不介入の立場を貫くことで、平和が保たれると思っていた。
 
 当時の英国の空気を象徴しているのが、1938年9月27日、ネビル・チェンバレン首相がBBCラジオを通じて国民に語りかけた言葉である。
 
 この時は、チェコスロバキアのズデーテンラントにドイツ軍が進駐をもくろみ、戦争が勃発するかどうかの瀬戸際だった。
 
 「それは、われわれが何も知らない、はるか遠方の国での 諍いさか いである」
 
 いま話題のネットフリックス映画「ミュンヘン 戦火燃ゆる前に」は、このチェンバレン首相の言葉で物語が始まる。
 
 ヒトラーは、ズデーテンラントに住むドイツ系住民がチェコ人から迫害を受けているとの「口実」を使い、ドイツ系住民の保護を名目に侵攻の意志を表明した。ウクライナ侵攻を正当化するプーチン大統領の論理と重なる。
 ドイツ軍がチェコスロバキア国境に集結し、侵攻の危機が迫る中で、英国のチェンバレン首相は戦争という悲劇を何が何でも回避するため、ヒトラーと交渉することを選択した。
 
 この時代の英国では、第1次世界大戦の悲劇的な戦争経験で受けた心の傷はまだ癒やされておらず、厭戦気分が蔓延していた。戦争は避けたいというチェンバレン首相の情熱は、多くの国民に共有された。
 その2年前の1936年3月、ドイツは国際条約に違反してドイツ西部の非武装地帯ラインラント進駐を決断した。これに対し、英国では容認もやむなしという空気が広がっていた。
  労働党下院議員のアーサ・グリーンウッドは、「ヒトラー氏は、犯罪の意図を示す発言をする一方で、(平和の象徴たる)オリーブの枝を差し出す発言も行っており、これは額面通りに受け取らねばならない」と、ヒトラーのプロパガンダをうのみにした。
 結局英国は、ヒトラーのラインラント進駐とズデーテンラントの併合が、いずれも国際的合意に背くと知りながら、戦争回避を優先した。ヒトラーの要望は独善的で一方的だったが、ドイツの主張にも一理があるという声もあった。戦争の恐怖が、英国国民の理性を皿めていたのだ。
 国際政治の世界では、声明や判断、行動が、一定の「メッセージ」となり、本来の意図と異なるかたちで相手に伝わる。このチェンバレン首相の決断は、ヒトラーの目には、英国の弱さの象徴、戦争を嫌う心理の証明と映った。したがって、これからのドイツの軍事侵攻に、英国は決して介入しないだろう。そのようなヒトラーの楽観こそが、結果として39年9月のポーランド侵攻と破滅的な第2次世界大戦の惨禍に帰結する。
英国があまりに強く平和を願ったことが、皮肉にも大戦を招いた。
 
 こうした「メッセージ」が悲劇につながる恐れは、今もある。昨年8月15日のアフガニスタン首都カブールの陥落と米軍の撤退を、おそらくプーチン大統領は、米国がウクライナ問題に決して介入しないという「メッセージ」と受け止めたのではないか。
 バイテン大統領は、「アフガニスタン軍が戦おうとしない戦争に、米国民を巻き込むわけにはいかない」と、不介入の決断を正当化した。確かに米軍のカブール撤退は既定路線だった。しかし、米国の世界での影響力の後退と、軍事力行使への強い拒否感は、プーチン大統領の目に、米国の弱さの象徴と映ったであろう。米国が軍事的関与を行わないという見積もりは、ロシアや中国による、より積極的な現状変更のための軍事的威嚇や軍事力行使の契機になるだろう。
 
 第2次世界大戦前、チェンバレンは、ヒトラーを一定程度理性的な交渉相手と見なし、相互理解や協力が可能だと踏んでいた。しかし、後継の首相、チャーチルは、イデオロギー的な対立構図のなかで、ヒトラーを信頼する愚と、対独協力の虚構、そしてヒトラーの戦争の決意を見抜いた。
 バイデン大統領は、軍事的介入を回避し、相手への宥和も厭わない「チェンバレンの顔」と、民主主義勢力の結集と「力による平和」を目指す「チャーチルの顔」の、二つの顔を持つ。ここにバイデン政権の外交の二面性が見える。カブール撤退は、「チェンバレンの顔」が強く表出していた。今は、「チャーチルの顔」を前面に出す必要がある。
 
 ウクライナへの対応は、米国と国際社会の試金石となる。もしロシアが勝利すれば、世界は再び19世紀の大国政治と権力闘争の時代に戻りかねない。他方、その試みが挫折し、ウクライナの主権と独立が維持されこれは、リベラルな国際秩序はひとまず維持されよう。
 ウクライナという主権国家の解体を国際社会が止められなければ、それは戦後の国際秩序の根幹が崩れることを意味する。今こそ民主主義勢力を結集し、「カによる外交」という「チャーチルの顔」を示すことが求められている。

【筆者プロフィール】   
 細谷雄一。日本の国際政治学者。慶應義塾大学法学部教授。専門は、国際政治史・イギリス外交史。博士。
 1971年生まれ。慶大大学院博士課程修了。専門は国際政治学、外交史。2010年から現職。著書に「新しい地政学」(共著)「軍事と政冶 日本の選択」「迷走するイギリスーEU離脱と欧州の危機」など。
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