ウクライナとロシアの戦争について。
ツイッターだったと思うが、ウクライナで戦争が始まったとき、市内で大人に抱えっれている赤ちゃんか乳幼児の顔の写真が流れていた。戦争ではなく、紛争だという話もあるが、そのあたりの区別はよくわからない。
当たり前だが、戦時下にある市内にも当然、子どもや赤ちゃんがいる。老人だっているだろうし、covid-19で寝込んでいる人だって、身動きとれない病気を抱えている人だっているだろう。
遠い国のことだし、何もできないといえば何もできない。
ただ、気の毒だよなぁと思いつつ、この件についてのモヤモヤした気分は出しておかないといけないと思って、先日は「戦争に反対する」なんてタイトルをつけて、ひょいと書いてみた。ひょい、とね。
自分がどれだけモヤモヤしていようと、文章にするだけなんて、ひょいとした、軽いもんだよなぁ、と思う部分もありつつ。
同じ時期に、フォローしている小田嶋隆氏のツイートで、とある元政治家、現芸能コメンテーターの人のつぶやきが流れてきた。
「日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まってもクソの役にも立たない。ウクライナとともにあると威勢よく言っていた国会議員は直ちにウクライナに行って戦え。それが本当に日本人を守るのか口だけなのかのリトマス試験紙。おそらく日本の国会議員のほとんどは行かないだろう。」
ってね。
さすが人気のコメンテーター。人の感情を不快にする術に長けていらっしゃる。
この人が知事か市長の時代の映像をみたことがある。高校生相手に自分の政策が気に入らないなら、自分が政治家になって自分の気に入る世界に変えればいい、と言い放ち、号泣させていた。
あれを見たときに、思想としても嫌いな人だと思ったけど、今回の件とあわせて感じるのは、この人はこの人で一貫した考えではあるんだろうな、ということだ。
つまり、強い者が総取りする、という思想なのだろう。
文句があるなら、行動しろ。行動できないなら、黙って従え、と。
彼の発言には、強く反発した人も多かったようで、リツイートとともに反対意見が表明されていた。考え方として同類と思っていた、とある作家さんまで反対のツイートをアップしているのが流れているのには、クスっとなったけど。
個人的な話になる。
俺は過去、何回かさまざまな集団、団体で議長役を務めた経験がある。理事長だとか会長だとか、委員長だとかいわれてね。極端に言ってしまえば、その議事進行の席で一人だけ他の人と反対方向を向いているのだ。つまり、向き合うという形でね。まぁ正確には他の委員さんたちも、そばについていてくださるので、一人だけってのは言い過ぎなんだけどさ。
あのとき、怖かったのは沈黙だ。
「この件については、こうなっています」
「役員で話し合って、こうすることにしました」
何か質問は?とか意見を求めても、シーンとしている。あれは怖かった。
賛成なら賛成でいいんだよ、なんか言ってくれよ、と思ったものだった。
そういうとき、俺の前任の会長さんとかが、手をあげて賛意を表してくれたり、すごく助けられたんだよね。その人が会長の時代、この人、たよりね〜な〜とか内心で感じてていたのを「ごめんよ。今はありがとう」と感謝したものだ。たぶん彼は、前に立つ怖さを知っていて、助けてくれたのだと思う。
沈黙しない、というだけでも力になると思うのは、そういう経験からだ。
文句があるなら、行動しろ。行動できないなら、黙って従え、というのもひとつの思想、考え方だろう。俺は賛成しないが。
大きな力の前に、自分は無力なんだけど、でもそこで何ができるんだろう、何が必要なんだろうと考え、言葉にする努力はしていきたいね。
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