行動力というのは忍耐力なのだと思う。
行動することで一杯一杯になってしまわない、強い人というのは、忍耐力があるのだと思う。
なにかのテレビ番組で、初老の女性がインタビューに答えて「愛とは忍耐だよ」と言っていたのだけど、忍耐できることが一番大事だと思って、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、何とか取り繕い、騙し騙し、生きている。
そんな中で、行動しながら、心の余裕を持てること、他の人を気遣える心のゆとりを失わないでいられること、それが愛の正体なのだと思う。
愛は地球を救う、だったっけ。
本当にそうだと思う。
お金だけが現実だ、と男は言う。
でも、きっとそんな、心に余裕のない現金男は、どうせ、お金を稼ぐことだけで一杯一杯になってしまって、ストレス溜めまくって、ストレス発散のために、やるだけやってやったから気が済んだ、と思えるまで、やりたい放題やって、人に迷惑を掛けまくって、ハラスメントし放題の悲しい社会にすることに加担していることを、自覚していない男だ。
僕は罪深い男だ。
行動できない男だ。
行動すれば、真っ黒な悪の塊になってしまう。
純粋であるとはそういうことだ。
自分と世界との関わりとしての行動を楽しめないとは、自分とは異質な他者を自己の内に受け入れることができない、ということで、自他を半々で折り合わせて、自己の外なる外界を自己の内に受け入れて、異物感に、自他という不純なものの混在に、耐える、そういう耐性がない、ということだ。
忍耐力がない男ほど罪深い者はいない。
そういう者たちが、涙を飲んで憎しみの連鎖を断ち切ることが、できなくて、悲惨な戦争を引き起こしてきた。
僕はそういう者である段階を克服すべく、克己心を持って、努力していきたい。
若返る人はいないし、僕は老い衰えていくだろう。
でも、強くなることを諦めない。
そして、自分より強い人を尊敬することをやめない。
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