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2021年09月29日16:07

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それでそれで?3

高校時代の同級生立美(たつみ)さんとアキさんの出会いは東京での洋裁学校だと分かった。
二人の出会いは1963年頃のこと。
以来二人は親友なのだ。
なんと言う偶然、私もその洋裁学校に嫌々ながら通っていた。
アキさんのことは何も知らないまま。

アキさんのことをもっと知りたい。
上手い事にアキさんは話し上手で淀みなく話してくれる。
「家は代々大工なの。埼玉の大工の祖父が土地買ってそこにアパート建ててね。」
すごいねー。
土地買ってアパート建てるなんて。
「最初はね、北海道で仕事したらしいのよ。当時は開拓で北海道に移住する人も多くて、すごく忙しかったみたいなの。それでお金貯めて戻ってきて横浜に土地買ったらしいの。
父も大工で、そうそう、これはKOKOさんと繋がるとこだと思うんだけど母は美容師さんなのよ。髪結とも言ったけど日本髪もできればカットもできたのよ。」

そうか、髪結さんだったのかそしてお父さんは大工さん。
お祖父さんが残してくれたアパートの収入もあって暮らしは豊かだったのだろう。
お母さんは働き者で子供たちにはとっても優しいお母さんだったとか。
ところが父親はとても好男子で女性問題が絶えなかったらしい。
常に芸者さんがいたそうな。
中には家まで押しかけていた芸者さんもいたらしい。
ある日突然家に入ってきた芸者さんがいた。
そして父親の手を引き連れ出したんだとか。
またある夜変な物音で目が覚めた。
何がゴロゴロ音がする。
その音はいつまでも続いた。
何事かと思って外をのぞくと、芸者さんが屋根に石を投げていたと。
その石がゴロゴロ転がって落ちる音だった。
会いにきてくれない恋しい男に業をにやした行為。

「お母さんよく我慢なさったわねぇ。」
「そうね、それでも私たちには優しくて怒られたこともなかったの。」
「よほどできたお母さんね、普通なら子供にあたってしまうのにねえ。」
「でもね、こんなことがあったわ。雨の日だった。母は一番下の子を背負い長女の私と下の子達を連れて傘をさしある場所に立っていたの。私にはちょっと離れた場所の家に父がいるんだなと分かっていた。でも母はその家に行こうとはしないけど、いつまでもその家を見つめながら立っていたのよ。雨に濡れるし、寒いしで結局あきらめて帰ったんだけど、母は父が出てくるのを待っていたんだと思う。」

なんと言う辛い情景だろう。
雨に濡れながら立ち続ける母娘たち。
おそらく何日も帰ってこない夫/父を待ちわびて。

う〜む、なんでだ!
なんで男はこんなことするんだ。
バカか、アホか、トンマか。

「それでもね、一番長く続いたのが最後の女性だったらしいの。母に言わせるとそれはその女性が素人さんだったからだって。」
「ん?」
「素人さんは切れ方を知らないからと母が言っていた。」

なるほどねー、それにしてもお母さんよく我慢したなあ、子供に辛く当たることもしないで。
よほど出来た女性だったに違いない。
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