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2021年09月23日23:00

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親ガチャ

3歳虐待死 10分近く全身熱湯か
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6677890

これは犯人は直接、親でないだろうが、この児童の母親の近くにいた。そして、凶行に巻き込まれた。

この世には、親ガチャなんてものはない、という人がいる。


東大生にも「貧しくとも、這い上がって、東大に入ったものもいる」と。


親からしても、「子ガチャ」という概念を持つそうである。


しかし、こういう事件をみるにつけ、子どもは、自分の環境を選べないのである。僕は昔、私大の中高一貫、あるいは、大学付属の高校に入れて、めちゃめちゃ羨ましかった時期がある。要は、そういう情報を提供したり、お膳立てしてくれれば、俺も遠回りすることはなかったのではないか、という物だった。




だが、この事件もそうだし、あるいは出産して、速攻で絞殺&遺体遺棄した母親もいる通り、この子の人生とは、一体何なのか、と考える。もちろんコウノトリが、赤ちゃんをはこんでくる、あるいは、流産したとき、「天国へ忘れ物を取りに帰る」という意見もあるだろう。




昔、件のRADWIMPSの「祈跡」で「生きたくても良きれねえやつがいるなんて、そんなこと考えもしないで」という歌詞があるが、生死の境をさ迷った人は、得てして人生観がかわるものである。個人的には、世界の終わりの「TONIGHT」も好きである。歌っているのは深瀬氏ではないが、より等身大のメッセージを受け取ることができる。





僕自身は、親ガチャに外れたと思ったことはない。語弊があるかもしれないが、もっとヤバい人たちはごまんといるだろう。借金で苦しんでいる人もいる中で、僕は学校に通うことができたのだ。



だが、美輪明宏氏も著書の中で、「人間には正負の法則」というもの備わってると説いた。一方がうまくいく人は、もう一方のことが上手くいかなのである。



最近、些細な幸せであるが、それは、俺が誰かの「感情のゴミ箱」になることもなく、無意味なことに、お金を使う(なぜか以前の僕は、そうしなかれば心がおかしくなりそうだった。)こともない。当たり前のことだけど、「良い思い出」を作っていくための「手段」として、お金を使っていくのだ。本末転倒になっていた過去が、僕にはあった。



間違いなく、私にとっての「負」の部分は、自己犠牲が強すぎる分、インチキ自己肯定クソ野郎、もとい劣等感の強いやつに付け込まれることであった。それは、そのまま「我の強いヤツ」を意味する。我が強い…要は人に譲るではなく、人を「利用する」方の人間だ(この次元になると、人間ではなく、餓鬼畜生そのものである)。




言うまでもなく、ある日を境に「俺のせいで…」という思考から、「あれを許せねえ」という他責志向になっていった。天変地異のように、俺は感情と頭の渦に翻弄されていた。もちろん周りのプレッシャーもあったのだけど。

自責の念は残ったのは以前と変わりなかったが、とどのつまり、「自分のせいで、相手に辛い思いをさせてしまった」から「相手のアホのせいで、俺自身を傷つけてしまった」という、完全に波の流れが逆になっていた。





世の中には、悪いことをされても、良いことで返せる人もいるだろう。しかし大半の人は、その反対だ。「恩を仇で返す」奴はそこかしこに潜み、そしてその度に、俺は食い物にされてきた。それを受け入れていた、更に阿保の俺は、自分自身の心の叫びを、否が応でも受け入れざるを得なかった。




だが、正負の法則というのなら、弱きものをダシに使ったものには、それ相応の罰が巡ってくるだろう。以前、悪党の末路なんて言葉にはいささかもピンとこなかった。なぜ悪党なのかといえば、自身の後ろ暗い事を正当化して、徒党を組むのである。それもある状況が過ぎれば、須らく、固まる理由はなくなり、復習に怯えることになるだろう。というか第一、俺が真っ先にそれを実行したくて、ウズウズしている。そして、罪を償うことも出来ないので、必然「逃げ続ける」ことしか出来ないだろう。勝手に淘汰されてくれればいい。




と、最近またピアノか実践する機会が出てきそうなので、聞く人に、良い思い出を作れるよう、頑張っていきたい。そういう人たちと、一緒に過ごしてきたい。


















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