「一人っ子」なり、「弟がいる長男」なり、病的に突っかかってくるタイプがいる。あるいは、陰口大好きとか、飼ってにやってろよ、と思った。
ただ、今思うのは、高一の時、確かにその「クソな」集団しか、俺が普段過ごす場所がなかった。それも、たかが、3人〜4人の徒党を組む集団。
そして、高校卒業した時、俺は友達が、自分にはゼロだと思った。とかく大学のころは、友達を増やそうとして、精一杯だった。
今、この年になって、旧交が徐々に復活してる気がするんだけど、やっぱりタイミングってあるのかな、
この人にあいたい、この人のために、何かしてあげたい、という気持ちが通じたのだろうか…
でもあれやな、もうさんざん悪口言いまくってんだけど、この「一人っ子」タイプってのが、多くの場合、俺の理解というか、「てめえも、良くしてもらったくせに、何だその態度は!」っていうヤツが多かった。ちなみに恥ずかしいんだけれど、高校時代、ある教師に目をつけられ、以下のセリフを吐かれた。ほんまに恥ずかしい。というか、アホすぎる。もちろん俺が。「その態度が、どういう結果を招くのか、予想できないのか?」という感じだったが。もちろん俺は、予想ができていなかった。
というか、高校生の自分に、あらゆる事を見通せ、というのは無理がある。まさか、あんな顧問が待ち構えているとは思えないし、少人数クラスで、馴れ合いが起きるとも思わなかった。
要するに俺が、こういう「笑えんことをする」という奴らしか、関りがなかった。いや。もっと別の方法を使えば、上手くやれたのかもしれない。
少なくとも、信頼できるに値する相棒は、必ず必要だろう。
話が逸れたが、要するに「一人っ子」に関わらず、この手合いに対しては、「何かしてあげたい」という態度では、必ず失敗する。
むしろ「目が合っただけで攻撃する」ぐらいのスイッチを、俺自身が入れないと、決してこの先もうまくいかないのだろう。
因果な話だが、「関わりたい」と思う人たちには、ほとんど接することができないか、接することができても、最後の方だけで、クソのような人間とは、否が応でも一緒にいなければーーー俺がそう思い込んでいたーーーならなかったり、離れた後も、そのクソの記憶に苛まれていることもあった。
要するに、良いメンバーはくっついて、つま弾きにされているもの同士、勝手にやってればいい。ただ俺は、やはりその「良いメンバー」と一緒にいれると時が少なかった。
マーフィーの法則というものがあって、探すのをやめた時、されが見つかる、というが、俺も、「あんな辛いおもいはしたくない。嫌な思いしてもいいから、俺を置いてください」てな態度は、必ず相手に見透かされるだろう。そして、そこに付け込んできてやつに、一人残らず潰したい、というのも、俺のウソ偽りのない事実であった。
なぜ、俺はあんなにも弱っていたのだろう。なぜ、劣等感にまみれている奴に「引っ張られていたのか」
ひとえに、それは俺が自信を喪失していたからであった。社会に何かいい影影響を与えようとすれば、挫折の連続になる。
そして中には、安全圏でしか勝負をかけず、根拠なき自己愛や自身が肥大化したものもいるだろう。そいつからすれば、確かに俺は、体のいい鴨だっただろう。
気を付けていきたい。
施すに値しない人間は、確かにいるのだから。
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