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2021年08月29日14:20

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【長文注意】映画『ドライブ・マイ・カー』作品レビュー

【長文注意】映画『ドライブ・マイ・カー』作品レビュー

7月のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。話題性は十分だし、実際その完成度は高いと思います。
 本作の濱口竜介監督は、脚本家として参加した「スパイの妻〈劇場版〉」(黒沢清監督)はベネチアで銀獅子賞、監督した短編集「偶然と想像」(12月公開)はベルリンで銀熊賞、そして本作と昨年から世界3大映画祭で受賞が続いています。まるで彼の周りだけコロナ禍がなかったかのような驚異的な活躍です。

息をのむ。愛する妻を失った舞台演出家の魂の再生を、愛車「サーブ900」に仮託して描く本作は、濱口竜介監督の研ぎ澄まされた神経が隅々まで息づいている。

 原作は村上春樹の短編集「女のいない男たち」。幼い娘を亡くし、妻も失った男が、 自分の心と向き合うまでの長い旅。要約すれば目新しさはなさそうでも、濱口竜介監督の洞察と演出にかかれば、見たことのない映画に。救済を待つ魂がやがて思いも寄らぬ場所へ導かれるロードムービー。179分の長距離ドライブです。この手の作品がお好きな方なら、長丁場もあっという間でしょう。
 
 舞台演出家の家福(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(霧島れいか)、満ち足りた生活を送っていると思っていました。
 印象的なプロローグです。しかもかなりタイトルクレジットまでかなり長い!
 夜明けのベッド。家福は音から奇妙な創作話を聞きます。逆光が作る陰で妻の姿はほぼ見えない。「謎を背負うのは女性」「人は性的な存在」という設定に村上イズムを感じさせてくれました。
 ベッドで、サーブの車内で、2人は物語の筋書きを語り合います。ある日、海外の仕事が出国前にキャンセルとなり、自宅に戻った家福は、音が別の男と体を重ねているのを目撃しますが、気づかれないよう、静かにその場を離れます。
 後日。出かけようとする夫に、音は「今晩帰ったら少し話せる?」と問いかけます。夜半に家福が戻ると、妻は床に倒れ、息絶えていたのです。(ここでやっとクレジット)
 
 2年後。複雑な思いをぬぐえないままの家福は、国際演劇祭で多言語劇の「ワーニャ伯父さん」の演出を依頼され、会場の広島に赴きます。主催者から、会期中は専属ドライバーに運転を任せるよう勧められ、みさき(三浦透子)という若い女性を紹介されます。喪失感を抱えた家福と、感情を表に出さないみさきは、近づきそうで近づかず、確かめ合うように会話を繰り返す。当初は自分で運転することに強いこだわりを持っていた家福でしたが、運転手としてプロ意識の高いみさきを受け入れます。癒えない傷を持つふたりは似た者同士だったのかもしれません。そこへ生前の妻に紹介された若い俳優の高槻(岡田将生)がオーディションに現れます。その危ういたたずまい。穏やかな水面の下の、理性で捉えられない熱情を予感させる映像は、村上春樹の作品世界そのもので、彼のファンも納得することでしょう。実は脚本は原作そのままではそうなのです。濱口監督は原作を「村上さんのテキストに書かされる」という感覚になるまで何度も読み込み、オリジナルの筋を加えていたということでした。たとえば、家福が演出する舞台「ワーニャ伯父さん」の稽古風景。多国籍の俳優が自らの母語で通訳を介さずセリフを交わします。言葉の意味を超えた「何か」を共有しようと探り合うさまは、監督の演出手法ともつながるのではないでしょうか。 
 この多言語劇では当然参加する俳優は年も国籍も言語も様々。中には手話を使う者まで。さらに亡き妻の愛人と思われる高槻の存在(不安定で難しい役を担う岡田将生が見事!)「うまくやる必要はない。ただ読めばいい」。言葉が感情を生むのか、それとも感情が言葉を生むのか。劇中劇の入れ子構造で、演出する家福の姿に「テキスト重視」の濱口メソッドが重なります。それだけに劇中劇の台詞の本読みのシーンが凄く長く続くことになってしまいました。

 後半にある事件で主演のワーニャ役が突然降板し公演が危うくなります。かつてワーニャ役を当り役としていた家福に当然のように主催者から出演依されます。それができないと公演は中止するとも。家福は悩みます。音が死んで以来、家福はワーニャ役を演じることが精神的にできなくなっていたのでした。家福の決断することが、本作の重要なヤマ場であり、家福の抱えている癒えない傷がどうなるのかを象徴させる出来事となりました。 
 また舞台のやりとりと同じように、家福とみさきはサーブの車内で繊細に言葉を交わし合います。濱田監督は、互いの魂の核心に近づき、その先にある癒やしに導かれることにしたかったのでしょう。その点で、これは見るだけではなく、「聴く」映画でもあるようです。俳優の微妙なセリフのトーンからサーブのエンジン音まで、作品の一部として心に響くのかもしれません。わたしは底まで気がつきませんでしたが、作品の口上からは、劇場で耳を澄ませば、きっと発見があるはずなのでしょう。そんな「宝探し」のように見ると、2時間59分の上映時間は決して長くないことにもなりそうです。

 このように濱口監督の映画では、言葉が強い力を持ちます。入念に彫琢されたセリフは一語も無駄がなく、観客をくぎ付けにすることでしょう。特徴的なことは、対話する間、登場人物はほとんど動かないことです。
 バーのカウンターで車の中で、座ったままの人物を、カメラは時に正面から捉えます。しかし互いの言葉に反応し、彼らの感情が激しく動いていることを充分感じさせてくれました。この静かな画と内面の動きの対比が、映画のダイナミズムとなりえます。
 
 本作は対話劇にとどまらず、多くの伏線や脇道が用意され、重層的です。
 家福は左目に緑内障が見つかり、定期的に目薬を差すシーンも細かく挿入されています。セリフを覚えるため、音が読む脚本を吹き込んだテープを、車の運転中に繰り返し聞くシーンもしつこく繰り返されます。
 韓国語手話の俳優も出演する多言語劇では、言語を超えて感情が響き合います。いくつもの主題が反射し、映画はさまざまな考察を誘うことになるでしょう。
 
 印象的なのは、瀬戸内の島々などのロケーションに映える、赤いサーブのえも言われぬ美しさ。原作ではサーブの色は黄色でしたが、濱口監督は印象が際立つ赤に変えたそうです。また失意の舞台演出家と寡黙な運転手の心の距離を表す小道具として、今どき珍しくたばこが使われているのも印象的でした。さらにサンルーフから伸びる2人の手が夜風に触れて並走するショットが感動的でしたね。
 もう一ついいシーンは家福とみさきの対話場面。カメラは2人の小さな仕草にも反応していました。背景にボケだ並木とまばらな家、芝居も力が入る5分弱の長回し。チームでいい仕事をしています。広島市環境局の工場などの実景も時間をけっこうかかったことでしょう。
 この人生の謎と数奇な巡り合わせを描いた祥き先不明の物語は、観客もサーブに乗って心の旅をするようなものです。
 
 ただ最後にひと言言わせてもらえば、見る人の映画鑑賞力が問われる作品ではないかと思います。カンヌの審査員が務まるような造詣の深い方なら、濱田監督の演出意図が見えてくるのでしょう。わたしのような低レベルの大衆娯楽映画をこよなく愛する者にとっては敷居が高い作品でした。
 あと多言語劇にも抵抗感を感じました。いちいち外国語の台詞を理解するために、舞台奥に設けられたスクリーンに映し出される訳語テロップに目を向けなければいけないというのは、、どうしても感情移入の妨げになります。
 さらに濱田監督の徹底した韓国かぶれも気になりました。国際演劇祭というのに出てくるのは日本人俳優と韓国人だけ。手話を使う人も韓国人で、韓国版の手話という徹底ぶり。おまけに当初のロケ地は釜山だったというから相当な韓国かぶれぶりです。ひょっとして濱田監督は祖国日本よりも韓国が好きなのかもしれません。(公開日:2021年8月20日)

公式サイト
https://dmc.bitters.co.jp/



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