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2021年06月06日01:15

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映画「ファーザー」作品レビュー(日本公開:5月14日)〜認知症の世界迫る名演

 これが大御所のオーラというべきか。第93回アカデミー賞は、大トリの主演男優賞を83歳のアンソニー・ホプキンスが、認知症を“体現”した本作で、かっさらっいました。ほかにも監督・脚本のフロリアン。・ゼレトルが脚色賞に輝いた一本。

 認知症をテーマにした映画作品は結構あります。本作もそうで、誰もが成り得て、関わり得る、切実なまでに愛おしく厄介な父親と娘の物語。記憶や時間の混濁と親子の揺れる絆を、父親の視点で描き出したところに本作としての特筆すべき独自性があります。その認知症に罹ったもののみが知りうる不条理な世界へと、これほどまでに強く観客を引き込む作品はめったにお目にかかれるものではありません。精密な映像とリアルな演技の力たまものといえるでしょう。
 フランスの小説家、劇作家でもあるゼレールによる、。世界30カ国以上で上演された舞台を基に、自作の戯曲の映画化したのが本作です。

 物語は、ロンドンで独り暮らしをするアンソニー(ホプキンス)のアパートを、娘のアン(オリビア・コールマン)が訪ねてきたことからはじまります。
 81歳となっていたアンソニーは、認知症で記憶が薄れ始めていたのでした。その身を案じる娘アンが介護人を手配するものの、偏屈で口うるさい性格が災いし立て続けに辞められてしまうのでした。「(介護人の)あの女が腕時計を盗んだ」「誰の助けも必要としとらん」とアンソニーは強弁しますが、アンに新しい恋人とパリで暮らすと告げられると動揺を隠せません。
 ある日、リビングに「アンの夫」だという男が現れ、「ここは自分とアンの家だ」と告げられます。
 
 違う俳優がなぜか同じ名前を名乗ったり、一つの場面が行きつ戻りつする展開。こうしたサスペンス的な仕掛けは、本作を見る側の観客から「登場人物」や「時間」の認識を奪うことに。当初は父親の幻覚のシーンと、現実のシーンがない交ぜになった展開に全くついて行けず、頭の中が混乱しました。そこがゼレール監督の巧みな演出の成せる術なのでしょう。その困惑の中で思い至ったことが、これが記憶を失うということかということでした。老境にさしかかった自分も近いうちにこうなってしまうのかもしれないとふと思わせられてしまうと、じりじりする焦燥や恐怖を、自分自身がアンソニーとなって味わうことになっていたのでした。時折強烈に襲ってきた睡魔は、作品がつまらないというより、あまりにリアル過ぎて、見ているのに忍びないから、身体が拒絶反応を起こしたものだったのでしょう。

 とにかく現実と幻想の境界が、どんどん曖昧になっていく巧みな演出にうなりました。愛娘の顔さえ全く違って見え、目にしたものが本物か、話していることが本当なのか分からなくなくなりました。そして新しい介護人は、なぜか姿が見えないもう1人の娘ルーシーにそっくりでした。
 さらにゼレールは、「ここはどこか」をも、あいまいにしていきます。会話がループして初めのやり取りに戻る脚本も見事。
 カメラはアンソニーの部屋からほとんど動きません。しかし、実際は動いていないように見えて高齢男性の重厚な住まいは、シーンごとに微妙に色彩を変え、いつのまにか娘アンの現代的なアパートに変わっていたのです。ついには、全く別の「どこか」になっていくのです。すべてはこの、別の「どこか」で起きた出来事だったのかと、衝撃に襲われました。
 アンソニーが暮らす居心地よく整頓されたアパートは、時に冷たく見慣れない空間に感じられます。そんなアンソニーが変わらず暮らしている場所としての「一体感」を視覚化した、美術スタッフやカメラマンにも脱帽です。
 
 もちろん、名優アンソニー・ホプキンスの神がかった演技なしでは、この映画は成立しなかったことでしょう。不確かになった世界で、人間のもろさをさらけ出すのが名優ホプキンスです。
 例えばアンに「見捨てるんだな」と呟きながら、深い哀しみや不安を宿して涙ぐむ目。丸まった大きな背中に漂う年輪の悲哀。
 一方で、饒舌に話し続けるセリフ回しのスピード・迫力。タップを踏みながら陽気にはしゃぐおちゃめさ。なにより、意味合いは違えどレクター博士の“うつろな瞳”が健在だったことがうれしかったです。
 
 見慣れぬ部屋に独りたたずむアンソニーの瞳は、それでもなお青く澄んでいました。それは美しい、人間の目をしていました。そこに宿るのは、嵐が過ぎ去った後の静かな諦念だったのでしょうか。それとも、わからないことを受け入れて、新たな生を生きる覚悟だだったのでしょうか。
 アンソニーが真実にたどり着くクライマックスは、迫真の演技に圧倒されながら、他界した両親や自分自身の行く末に思いを巡らせました。人生は切ないですね(:_;)
 
 「羊たちの沈黙」のレクター博士などの当たり役から、ホプキンス本人に「冷静で確固たる知性の持ち主」とのイメージを抱いている人も多いはずです。その彼が、周囲を傷つけ、自らも傷つき、見たこともない何者かに変貌してしまう本作。
 ゼレールが、主人公の年齢をホプキンスと同じ81歳(撮影時)、役名も「アンソニー」としたことが、ここで大きな意味を持つことになったと思います。2人のアンソニーの虚構と現実がピタリと重なり、いつしか演技だということを忘れるほどでした。「私は誰なんだ」。放心してつぶやく姿はあまりに痛ましく、悲しかったです。
 現在83歳となった巨星は、今もまぶしい光を放ち続けていたのでした。
 
 薄れていく記憶と不安感。自分が口にしたことに驚く娘の表情に、自分が言っていることがおかしいのかと、不安に苛まれる父。
 アンソニー・ホプキンスがこの父をまさに入神と言うべき演技で演じ切った本作。時に、アンソニー・ポプキンスは本当に認知症なのではないかと思わせる表情を見せてくれました。
 
 演技なのか? 現実なのか!
 
 はじめに言ったとおり、われわれ年代の人間にとっては見ていて本当に辛い映画でした。身に沁みました。でも、心にズシリと残る感動的な映画だと思います。いや本当に(^^ゞ

☆公式サイト
https://thefather.jp/




【第93回アカデミー賞総括】歴史に残る衝撃的結末も――映画界「再始動」を表明した“ニューノーマル”祭典
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=25&from=diary&id=6497874
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