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2021年02月06日11:22

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ものぐさ精神分析

ラカンは正常者とは神経症患者のことだと言った。

神経症とは、フロイトが意識による無意識への抑圧しすぎとして説明した、心の病のことである。

抑圧するブレーキが抑圧されるブレーキの対象に接していなければ、抑圧は可能ならしめられない。

つまり、神経症と統合失調症の違いについて言えば、神経症が真の自己のほんの狭い一部分しか自己実現しておらず大部分は抑圧されているのに対して、統合失調症の場合は真の自己から浮き上がったところに空中楼閣のように偽りの自己が築き上げられていることによって偽りの自己が真の自己という根っこに届いていないために衝動への抑圧するブレーキが利かずキレやすく情緒不安定である。

したがって、一般に、女は神経症的であり、男は統合失調症的である、という一般論が成り立つと言えようかと思う。

すなわち、女の理性は感情の内に内在するのに対して、男の理性は感情の外に外在する。

この違いは、女の生殖器官が身体の内に内在するのに対して、男の生殖器官が身体の外に外在する、という身体の機構の違いに、対応するものと考えていいと思う。

確かに、脳構造の男女差というのは見出されようが、心臓を移植したら性格まで移るということから言えるように、人間は脳だけで物を考えているのではなく身体全体で物を考えているのであり、「女性は子宮で物を考える」と言われる通りだ。

もしラカンの言に従うならば、女は心が健康であるが、男は男という病を患っていて、この日記では、男という病についての詳細を述べることにしたい。

男は統合失調症的だと先述した通り、男は、陽性症状か陰性症状かという両極端に引き裂かれた自己を統合できていない。

陽性症状とは無いはずのものが有ることを言い、陰性症状とは有るはずのものが無いことを言う。

つまり、統合失調症患者は、有り過ぎるか無さ過ぎるかの両極端しかなく、極端と極端の中間の中庸を実現できないのだ。

僕も、統合失調症患者であるがゆえのコミュ障で、コミュニケーションの場面で、政治家が演説するかのように一人で長々と何かについて説明するか、さもなくば、何も一言も言えなくなって黙って相槌を打つ側に回るか、どちらかしかできず、短い言葉のキャッチボールが困難である。

男は、女みたいにおのれの心への程々の抑制を利かせるということができず、心を完全に抑圧し切るか、心を全開にするか、どちらかの極端に振れることしかできないのだ。

女みたいに心を小出しにしようとすると理性が崩壊して堤防が決壊するみたいに感情がとめどなく溢れ出て止まらなくなってしまう。

いわゆる発狂である。

女親のほうが男親よりも圧倒的に子供に母国語をマスターさせるのに適役であるのは、女親の言葉には感情が乗っていて、言葉と気持ちの自己一致があって、心に直接語り掛ける力があって、子供にとっては分かりやすいからだ。

発狂しないように感情を抑圧し切った男親の口から語られる、感情も気持ちも乗っていない言葉を、子供は吸収することが難しい。

女みたいに程々に心を開くということができない、男は、固く心を閉ざしており、強硬で頑なである。

「女は感情的だから嫌いだ」と男がよく言うのは、うっかり感情に感情で反応してしまったら、おのれがコントロール不能になり、統合失調症を発症してしまうのを、予感しており、女心に対して拒絶の姿勢を示し続けない限りは自制できないことを予知しているからだ。

男は本心を抑圧し切って、それを理念の衣で覆い隠して見ないようにする他なく、自己欺瞞的理論武装こそ男の身を守る術なのだ。

自己欺瞞を自己欺瞞と指摘して本心との自己不一致を暴露しようとする者にあちこちで遭遇するであろう。

しかし男は本心を自覚してしまったら辛くて生きてはいけないから指摘を受け止めることも認めることもするわけにいかないのである。

かくて男はどんどん、柔軟さを欠く強硬な人間に、なっていく。

本心を自覚上にもたらしてしまえば辛くなって何もかもから逃げ出したくなるだろう。

やるべき行動から逃げ回り始める。

鬱病を発病するということだ。

鬱病とは外に向かう行動を中断して内省に向かう癖のことを言う。

本心と向き合うことは鬱への悪しき傾向であることを男は知っている。

健常者として生きていくために、統合失調症を発症することも、鬱病を発病することも、避けなければならない。

そのための歯止めになるものが健常者には備わっていて、先回りして危険を察知して、歯止めになるものを発動させて、身を守っているのである。

無意識に閉じ込められたものが外に出て来れなくなってしまっているためにそれを思考を掘り下げることによって取り上げて取り出して気付きに高めようとしている、僕とは、努力の方向が逆なのだ。

緊張型統合失調症患者である僕が、緊張していることによって眠れないという不眠症を治すために、やっていることは、抑圧された無意識の心的内容が無意識の領域内から領域外へ出て来れるようにすることで、それが緊張が解けてリラックスできて眠れるようになることだ。

抑圧を弱めようとしている僕と抑圧を強化しようとしている人々とでは、努力の方向が反対である以上は、僕の人々とのコミュニケーションギャップは大きく、僕の話は、こうやって人々の目に余り触れることのないネットの片隅にそっと置いておく程度に留めておくのがよさそうである。
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