mixiユーザー(id:26156846)

2020年10月01日18:28

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知性的

『・“自分はそれについてよく知らない、と涼しく認めることができ、自説に固執することなく、他人の話を黙って聴き、腑に落ちたか、自分の内側を見つめて判断する。”つまり「腑に落ちたか」否かで「理非の判断をする人」が「知性的」なのだ。

・知識の量に固執する人は、脳だけでなく体も都市化、機械化、規格化され、人工物のようになっているという。自由度がなく、プログラム通りにしか動けないため、他人との柔軟な対話のラリーができない。』


全くその通り。対話の場面についていえば、ホントに実感することアリ。
ここでいう、知識の量に固執する人、たくさんモノを知っているような人でも、対話の内容が硬直化していて、対話のラリーまではできないなという場面は時折、ある。こちらとしては、よくそんなことまで知っていますねとか、それに基づく公式のようなものについても、そうか、そういうことになりますか、とか、それなりの敬意を表する他ない。

あ、またこのパターンか、という感じで、途方に暮れる。自分はこんなふうにならないようにしようと思う。自分の腑に落ちるように、丁寧に聞いていこう。

あ、維新のにぃちゃん・ねぇちゃんは別ね。あれはもう、箸にも棒にもかからない。
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