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2020年05月19日00:34

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茨城のおいしい卵

見合い結婚を避けるために田舎を出て、東京で洋裁学校に通っていた頃のこと。
別に洋裁が好きなわけではなかった。
というか実は大嫌いだった。
けど口実が必要だった。
ファッションの勉強は東京でなくてはと主張し、田舎にも洋裁学校はあるという親の勧めを振り切って出た。
50何年も昔の話です。

その学校で知り合った女友達の一人は茨城から通っていた。
十二単が似合いそうな色白のぷっくりした小柄な女性。
手は小さくこれもぷっくりしてまるで赤子の手のような可愛らしさがあった。
が、この手が魔物で彼女が布を触ると、まるで手品のように操ってしまう。
私はいつも感心して彼女の手元を見つめていた。
私が触ると布は抵抗するかのように言うことを聞いてくれない。
なのに彼女だとまるで布の方からここは折れた方がよろしいですかね、とでもいう感じに動いてしまう、ように見えるのだ。

ともかくその彼女がある日私を招待してくれた。
泊まりにいらっしゃいと言うのだ。
で行ってみた。
昔のことであまり記憶にないが、歩いた田舎道と朝食が記憶に残っている。
田舎道は私も田舎育ちだったので懐かしかったのだろう。
朝食は、これは鮮明に覚えている。
ご飯、味噌汁、漬物、卵焼きだった。
がこの卵焼きの美味しかったこと。
その家では鶏を買っていた。
卵がこんなに美味しいなんてと、感動した。
それは卵を解いて少し塩を足しフライパンで焼いただけの素朴な卵焼き。
なのになんとも美味しいのだ。
本当は卵焼きのおかわりを友達に頼みたかったが、恥ずかしくて言えなかった。

以来あんな美味しい卵には出会っていない。
何故だろうとずっと考えていた。
新鮮さ?
それだけでは無さそう。
今はフリーレンジ(日中は野放しで飼われる鶏)の卵、しかもオーガニック(餌がオーガニック)なものを買い求めるがそれでもそんなに美味しくはない。
あの味はなんだったのだろう。
小さい頃は我が家でも鶏を買っていた。
そうだあの頃の卵の味だ。
じゃあ何が違うのか。

たった一つだけ言えるのは家庭で買っている鶏たちには必ず雄鳥が一羽いた。
そうだ、たぶんこれだ。
今日の卵は無精卵。
昔食べていたのは有精卵。
この違いだわ、きっと。
まあでも自信はないけどきっとそうに違いないと思っていた。

そしたらそれが正しいことを証明する文に出会った。
その本「新 私の歳月」池波正太郎著
随筆と対談をまとめた本なのだが、その中にあった。                                      

ああ、あの味をもう一度味わいたいものだ。

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