「同じ人間・命を持つ者」という発想はイデオロギーではありません。左右などに関係ないわけです。役人支配の道具にはならない。
思えば、今までのイデオロギーは右・左・保守・中道と、中央役人の人民支配の道具に過ぎなかったようです。だから、右の極端な例のナチスと、左の極端な例のカンボジアのポル・ポトが極めて似た国家になったと。イデオロギー・ゲームは本当は1990年のソ連崩壊で終わっていたはずなのですが。又、右のイデオロギーの源の民族神話も、左のイデオロギーの源の資本論も、イデオロギー化や役人支配は想定されていなかったわけですが。歴史からもおかしかった事がわかります。
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