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2019年10月28日04:41

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次女の死 4

毎日海辺の街の病院に駆けつけてくれる次女の友人の数に驚いた。
が、それ以上にその見舞いが義理や形式ではないことにはもっと驚いた。

彼らは皆ショックを受け心から悲しんでいた。

そしてたまに誰かが次女との思い出を語り泣いたり笑ったりした。
彼女に出会えて良かった。
彼女に出会って自分の人生は変わった。
僕の姉さんみたいだった。

とかそんな声が聞こえた。

次女はよく友達を大勢連れて夜遅く帰宅、ドタドタと2階の次女の部屋へ上がっていくことがあった。
彼女の友達は居間にいる私にこんばんはと挨拶してすぐに上がっていくものだから、誰が誰なのかわかりもしなかったが。
しかし彼らは私を覚えている。

もちろん中には別の機会に居間で話した友人たちもいるのだが、みんな良い気質の人ばかりだった。

海辺の街の病院からロンドンの自宅に戻ると、次女の幼馴染みの友人たちが続々と花束を持って現れた。
遠方からは郵送されてきた。
私たち家族には無愛想だった次女がこんなに大勢の人々に慕われていたなんてと驚いた。

葬儀の手配は16年間彼女のボーイフレンドだった彼が、全て手配してくれた。
それは心のこもった手配だった。
無神論者だった次女に合わせて、そして形式に囚われない葬儀で、心温まるものだった。
洋服は自由に好きな服装で参列。
レセプションには次女の子供時代から現代までの写真が飾ってあった。

一番びっくりしたのはその葬儀に200名以上の人が参列したことだった。

なんだか自慢話みたいになってしまったが、本当に驚かされた。

今は次女の写真を見ては「あんた、すごいね。」と話しかけている。
その写真は次女がある時期毎年ホリデーで訪れていたマルデブ島での写真。
プールの滝に打たれている写真で、まるで滝修行でもしている様な俯いた姿。

寝室に飾った写真は片手に葉巻、もう一方に酒のグラス、得意気な表情の次女。
これもちょっと違った意味ですごい。



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